がんと向き合い生きていく

手術して今は健康なのになぜ会社を辞めなければならないのか

佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 8年前に乳がんの手術を受けたSさん(45歳・女性)は、週3日勤務の非常勤職員として都内の会社で働いています。2人の子供が小学生になって自由になる時間ができたため、新聞の募集広告を見て勤めてみることにしたのです。

 職場は自宅から電車で30分くらいかかる駅前のビルの5階にあり、事務の仕事をしています。給与は安かったのですが、朝10時から午後3時までという勤務時間はSさんにとって好条件でした。

 仕事を始めるにあたっては、近医を受診して「働くことに問題はない」との健康診断書を書いてもらい、履歴書に添えました。

 会社には部屋が2つあって、1つは机を並べた仕事部屋、もう1つは会議室兼倉庫になっています。仕事部屋の正面には事務長さんの机、中央に2人ずつ向かい合って座る4人の机があり、合計5人で仕事をしていました。Sさんの仕事内容は親会社から送られてくるデータを集計・整理して、再び親会社に送り返すもので、特に忙しいこともなく淡々と仕事をこなしました。

 仕事を始めて3カ月たったある日、Sさんは事務長に申し出ます。

「明日、病院に行く予定があります。休ませていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 そして、こんなやりとりが続きました。
事務長「どこか体調が悪いのですか?」
Sさん「いえ、特になにもありません。定期の検診です」
事務長「定期の検診って?」
Sさん「はい、私、乳がんの手術をして8年になります。再発もないのですが、年1回の定期検診があるんです」
事務長「そうでしたか。採用の面接の時、どうしてそのことを隠していたのですか?」
Sさん「えっ!? 隠したつもりはありません。でも、そんなことまでお話ししないといけないのですか?」

 Sさんと一緒に働いている他の3人は、黙ってやりとりを聞いています。Sさんは別に聞かれても構わないとも思ったのですが、1人は男性だったこともあり、なんとなく不愉快な気持ちでした。隣の会議室で話せばよかったとも思いました。

 最終的には、事務長から「それを知っていたら採用しなかった」と言われ、それからSさんは事務長とはうまく話せなくなってしまいます。結局、1カ月後にSさんはその会社を辞めることにしました。

「がんの手術をしただけで今はまったく健康なのに、どうして辞めなければならないのか……」

 Sさんはとても疑問でした。

 極端なケースかもしれませんが、現実にあったお話です。

「東京都がん対策推進計画(第2次改定)」の「就労継続への支援」にはこう記されています。

●東京都がん患者調査によると、がんと診断された時に既に就労していた人の24・7%が退職をしています。さらに、その後再就職をしていない人に退職の背景を尋ねたところ、約77%が自ら退職を決めています。

●その理由として、がんと診断された患者は、周囲に迷惑をかけたくない、あるいは体力面で就労継続が困難であると悩みながらも、どこに相談すればよいか分からず、医療機関や職場等に相談する前に離職を選択してしまう場合があります。一方、患者である従業員が治療と仕事を両立できる職場環境を整備できていない企業や事業所があることも理由の一つです。

 2016年、がん対策基本法の一部改正により、事業主の責務として、がん患者の雇用の継続などに配慮するよう努めることが新たに規定されました。日本では、がんに罹患する人は2人に1人、そのうち3人に1人は就労可能な年齢です。1年間に新たにがんと診断された人は約100万人で、外来で治療されている人も増え、働きながら治療を続けることも可能になってきました。

 日本対がん協会は、「通院しながら」「会社や病院と相談しながら」働く患者を「ながらワーカー」として支援しています。気兼ねなく働きながら治療ができる環境整備はとても大切な急務です。家族を養うために働かなければならない患者もたくさんいます。がん治療を受けながら、肩身の狭い思いをしないで気兼ねなく普通に働けることが、真にがんを克服することにつながるのです。

 環境整備には、雇用者側にもメリットが必要です。障害者を雇用した時に助成金を受けることができる制度のように、がん患者を対象にした新たな仕組みも考えなければならないと思います。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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