独白 愉快な“病人”たち

ダースレイダーさん 糖尿病で脳梗塞に…左目の視力も失って

ダースレイダーさん
ダースレイダーさん(提供写真)
ダースレイダーさん(ラッパー/43歳)=糖尿病・脳梗塞

「もうすぐ出番です」と言われたので、「よっしゃ!」とトイレで顔を洗ったら、突然世界が一回転したんです。2010年、青山のクラブ、深夜のイベントで僕は司会をするはずでした。

 何が起こったかわからず、「地震か?」と思いながら洗面台にしがみついたけど、グルグル回って止まらない。助けを呼びたくても声が出せない。立てないからゴロゴロ転がってやっとトイレの外に出たら、驚いたスタッフに押し戻されて「吐いてください!」って……。きっと急性アルコール中毒かなにかだと思ったんだろうけど、説明したくても口がきけないまま、そのうち泡を吹いたもんでクラブの外に運び出されたんです。

 仲間のひとりが「脳梗塞かもしれない」と気づいてくれたので、通りかかった演者のクルマで最寄りの病院に運ばれました。病院には電話で症状を伝え、「クルマで向かってます」と連絡済みだったのでスムーズに受け入れてもらえました。

 その頃にはもう気を失っていてわからないのですが、安定剤を点滴されていろいろ検査をされたようです。

 気づいたら翌朝でした。僕はベッドに寝ていて、そばに青い服の医師が立っていました。「脳梗塞です。今から3カ月ほど入院です」と言われて、「うわ~」と思いました。

 前兆らしきものは、ひどい肩こりぐらい。数週間悩まされて整形外科で肩のレントゲンを撮り、「異常なし」と言われた翌日の脳梗塞でした。

 アチコチの科に回されて脳梗塞の原因を調べると、どうやら僕は糖尿病になっていたようで、それが脳梗塞を引き起こした可能性が高いとのことでした。じつは僕、父親が40代で亡くなった時からの病院不信で、10年以上、健康診断を受けていませんでした。具合が悪くても自己判断で乗り越えていたせいでどこにもデータがなく、検査が全身に及んだのです。

 揺れ続けるめまいの原因は左耳の三半規管でした。三半規管は両耳の後ろにあるんですけど、通常、利き手と反対側の三半規管が反応しているそうで、医師には「片方がダメージを受けても、3週間ぐらいするともう片方が機能するようになる」と言われました。パソコンのデータ移行のようなことなのでしょう。

 しかし、3週間はずっと荒波に揺れる船酔い状態で、常にバケツを抱えて過ごすしんどい日々……。でもある日突然、なんともなくなったのです。データ移行の完了を実感しました。

■テレビを見て左目が見えないことに気づいた

 めまいが消えて、さぁリハビリ(!)となったのですが、歩こうとした時に「どうやって歩いてたんだっけ?」となりました。足の動かし方、力の入れ方を忘れてしまって、一つ一つ考えなければ動かないのです。「歩くってこんなに複雑な動作だったんだ」と再発見しました。

 そのあと久々にテレビを見る気になって、院内で映画「スター・ウォーズ」を見始めたら、「あれ? 左目、見えなくない?」と気づいたのです。

 眼科で診察を受けると、左目は視野欠損で真ん中が白く見える状態でした。目の奥で血管が破れて新生血管ができ、それがもろくて切れるという内出血を繰り返すうちに、視神経に損傷を与えているとのことでした。両目ともにその傾向があって、左目は特に進行していたようです。それで、新生血管を焼き切る手術を受けました。でも左目の視力は戻らず、「今の医学では、どの視神経を修復すれば視野が戻るかわかっていない」と言われた時、左目は諦めました。

 3カ月と言われていた入院は1カ月半で済み、その後、リハビリ病院にしばらく通い、体は回復していきました。でも退院から1年後、今度は右目が突然見えなくなりました。ある日、上からカーテンが下りてくるように赤い膜がかかったんです。眼科に行くと、「内出血している。出血が引かないと詳しい診察ができないから3日後に来て」と言われました。

 結果的に3週間出血が引かず、何も見えない生活をした後、失明のリスクもある手術を選択し、無事、右目の視力は0.8+乱視に戻りました。

 その後も腎臓の状態が悪くなって「何もしなければ余命5年」と告げられたり、2年前には救急車で運ばれて「あと数時間遅かったら死んでたよ」と言われるような経験をしてきました。

 でも、しんどいことは通過すると全部糧になる。僕は「病気は誰がいつなってもおかしくない通過儀礼」だと思っています。病気を通して新しい自分を獲得するんです。だから悪いことではないですし、むしろパワーアップした自分になれると捉えています。

 ヒップホップという表現の中で、僕は眼帯をトレードマークに「派手で元気な病人」の姿を見せていきたい。良くも悪くも特別扱いされる居心地の悪さや、浮いたり沈んだりする病人の気持ちを僕なりに発信していこうと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽1977年、フランス生まれ。幼少期をイギリスで過ごし、日本の中学・高校を経て東京大学に入学。浪人時代にラップに目覚め、在学中に本格デビューして大学を中退。バンド活動と並行してMCバトルの大会主催も手掛ける。「高校生RAP選手権」(BSスカパー)に企画から参加し、第1回放送はレフェリーとして出演。現在は「ベーソンズ」でボーカルを務めるほか、司会や執筆など幅広く活動している。著書に「ダースレイダー自伝 NO拘束」(ライスプレス)がある。

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