独白 愉快な“病人”たち

このまま逝くかもしれない…山折哲雄さん肺炎を振り返る

山折哲雄さん
山折哲雄さん(C)日刊ゲンダイ
山折哲雄さん(宗教学者/89歳)=肺炎(肺膿瘍)

 昨年の3月末、ちょうど新型コロナウイルス第1波のさなかに「肺炎」で入院していました。幸い、新型コロナウイルス感染症ではなかったのですが、検査画像では右肺の4分の3が真っ白で、入院中はこのまま逝くのかもしれないと思ったくらい苦しい状態でした。

 2月ごろから持病の逆流性食道炎が痛み出し、ある日、食べた物が口からあふれ出たのです。それを境に発熱が始まり、38度前後になったので、すぐに主治医に相談しましたが、コロナ禍のこともあり主治医も困った様子で、普段ならすぐ入院もあったのでしょうが、「まずは自宅療養」になりました。

 その後、数日しても熱は下がらず、次第に呼吸が苦しくなってきたため、CT検査となって肺炎が発覚。いよいよ大きな病院に入院の運びとなり、PCR検査を受けました。

 結果は陰性でしたが、すでに肺炎が重症化していて、詳しく調べてみると肺に膿がたまっており、厳密には「肺膿瘍」と呼ばれるものだったようです。

 主に誤嚥などが原因で強い炎症が起こり、肺の組織が壊れて空洞ができ、そこに水がたまり、さらに膿がたまる病気です。

 治療は、水を出して膿を除去するための抗生剤の点滴でした。2~3週間でようやく改善してきて、丸々1カ月が過ぎた5月初めに退院しました。

 右肺は90%良くなったと言われましたが、再発の可能性もあるとのことでした。医師に「手術という方法もある」と言われたものの、私が88歳と高齢なので、「切るのは気が進まない」と。私もさすがに手術をしようとは思わなかったので、そのまま今日に至って今はすっかり元に戻りました。

 入院中は本当に苦しくて、文字通り生死をさまよいました。延命措置はしないでくれと希望していたので、いつあちら側に行ってもおかしくなかった。3年目に入っていた朝日新聞の連載エッセーをやめる態勢に入ったのもこの入院中でした。

 思えば、小児喘息に始まり、大人になってもずっと病気がちでした。とくに消化器系はほとんど経験したと言っていいくらいで、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、急性肝炎、膵炎、胆のう切除などを経験しまして、ようやく健康だと思えるようになったのは80代に入ってからです。

 でも調子に乗って仕事で全国を飛び回ったり、お酒もたくさん飲んでいたものですから、それらが重なって85歳のとき軽い脳卒中で倒れてもいるんです。

 原因は持病の不整脈だったので、そのときの治療はカテーテルアブレーションという心臓の手術を受けました。脚の付け根から心臓にカテーテルを通し、心房にある患部を焼き切るという手術でした。全身麻酔を要するので「85歳はギリギリです」と言われました。一般的にはあまりやらない年齢のようでしたが、その手術の名医が「あなたは大丈夫。すぐに講演に行けますよ」と言うのでやってみたら大成功。5時間ほどの手術でしたが、翌々日には退院して、本当に1カ月もたたないうちに仙台に講演に行きました。

「医学ってのはすごいものだな」と思ったと同時に、長年患ってきた消化器系の病気と、心臓や肺といった循環器系の病気の違いを実感しました。消化器系は鈍痛、疼痛、激痛の連続で、「存在の重さ」をしたたかに感じさせられるものでしたが、循環器系では空気が薄くなるというのか、体が軽くなる瞬間がところどころにあって「このまま死ぬのも悪くないな」と、そんなことも考えました。

■身軽になるのは難しい

 肺炎でも苦しい呼吸の中で、やはり、ふとロウソクの火が消えるように逝ければいいなと、今度は「存在の軽さ」に思いを馳せ、存在を軽くすることがよりよく生きて、よりよく旅立てることなのではないかと考えるようになっていました。

「身軽」になることはなかなか難しいことです。「断捨離」という言葉がはやっていますが、物を捨てたからといって身軽になれるわけではなく、物心両面の身軽さというのが真の軽さ。身に付けてきた知識や哲学や信仰さえも荷物であり、重さとなっているのではないですか。こだわっているものから解放されて全部空っぽになればどんなに軽くて楽なことか。

 でもね、いくら捨てても軽くならないものはならない。それを軽くするにはどうしたらいいのか。私はその最後の問いに向かい合っています。

 今生活で心掛けているのは1日30~60分の散歩です。その前は30年間毎日座禅を習慣にしていましたが、仕事であちこち出かけなくなったので動かないとね。

 あとは「食べ過ぎない」「飲み過ぎない」「人に会い過ぎない」を3原則にしています。私は“アルコール中毒”なので、人に会うとついお酒が進んでしまう。今は1日おきに1合だけ。死ぬまで健康でいないとあるがままを受け入れて身も心も軽やかに旅立てないですからね。

(聞き手=松永詠美子)

▽山折哲雄(やまおり・てつお) 1931年、米サンフランシスコ生まれ、岩手県育ち。日本の宗教学者。東北大学文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、白鳳女子短期大学学長、国際日本文化研究センター所長など、数々の役職を歴任し、現在に至る。著書は「死の民俗学」「仏教とは何か」「教えること、裏切られること」「法然と親鸞」「『ひとり』の哲学」など多数。近著に「米寿を過ぎて長い旅」がある。

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