独白 愉快な“病人”たち

金沢大名誉教授の山本悦秀さんが振り返る大腸がんとの闘い

山本悦秀さん(C)日刊ゲンダイ
山本悦秀さん(金沢大学名誉教授、城南歯科医院理事長・76歳)=大腸がんとその肝転移

 2012年にストーマ(人工肛門)を装着して走ったフルマラソンは本当にハードでした。でも、がんからの華麗な復活劇にハーフマラソンではちょっと弱いでしょう? だから頑張りました。「フルマラソンを完走した」っていう、この一瞬の写真(著書の帯)のために6時間半かけて走ったようなものですよ(笑い)。今でも週末に皇居の周りを走っていますが、フルはあれが最後です。

 私が大腸がんと診断されて最初の手術を受けたのは、今から16年前。60歳の夏でした。韓国旅行中に腹痛と倦怠感、腰痛がピークに達し、帰国したその足で2人娘の母校である東京の大学病院で検査を受けると、「下行結腸がんの疑いが濃厚」と言われました。本来ならばそのまま入院・手術となるはずです。でも、私は当時、金沢大学付属病院の現役教授でしたから、「ここで手術を受けるわけにはいかない。是が非でも金沢に帰らなくては!」と思い、腫瘍による腸閉塞症状に苦しみながらもその意思を貫きました。おかしな話ですが、なんとか金沢大学付属病院に運び込まれたときは「もう、これで死んでも悔いはない」と思ったものです(笑い)。

 検査の結果、進行がんであり、リンパ節への転移も否定できないということだったので、結腸20センチとともに周辺の組織を切除する手術を受けました。退院後は抗がん剤治療も受け、化学療法のつらさも経験しました。

 思えば、前々年あたりからマラソンのタイムが軒並み落ち、前年末にホノルルマラソンに参加したときも、完走できたものの事前の体調は決して芳しくありませんでした。でも年齢や日頃の疲れだと思い、やり過ごした結果、韓国旅行で限界を迎えたわけです。

 術後はゆっくりと筋力を取り戻し、再びフルマラソンを完走できるまでになったのですが、その直後、内視鏡検査で今度は「上部直腸がん」が見つかりました。最初の手術から2年が経っていました。このときは直腸を20センチほど切り、ストーマをつくりました。ただ、それは一時的な仮設ストーマのはずでした。

走りも生活も右肩上がりに(C)日刊ゲンダイ
主治医の言葉で永久ストーマを受け入れた

 ところが、その翌年にがんが肝臓に転移していることが発覚しました。ステージ4でした。治まることのない倦怠感に自らPET検査を申し出たところ、嫌な予感が的中してしまったのです。

「FOLFOX」という化学療法でがんを小さくしてから切除手術をすることになりました。ただ、この化学療法の副作用は激しく、強い倦怠感、眠気、手のしびれにさいなまれる日々でした。その割にがんを縮める効果は少なく、予定より早めに切除手術になりました。

 この3回目の開腹手術では、肝臓の右葉全摘、胆のうと大動脈リンパ節も摘出しました。肝臓はある程度残っていれば再生する臓器なので、現在は7~8割の大きさまで戻っています。

 実はこの3回目の手術の後、自ら申し出て再びFOLFOXを受けました。2回目のがんは血液に乗って転移した血行性転移とわかっていたので、患部を切除しただけではがんが体中を巡っているような不安が消えなかったからです。つらい治療だとわかっていただけに悲壮な選択でした。今考えても、このときの化学療法が一番つらかった。覚悟のうえで臨んだにもかかわらず、真夏の暑さが重なって途中リタイアしたくらいでした。

 それでもおかげさまで腫瘍の再発はなく、秋になると体調も上向きになり、仕事も走りも再開できました。

 仮設のはずだったストーマを永久ストーマとして受け入れたのは3度目の手術から3年後、そろそろ定年退職という時期でした。ストーマを閉じて肛門を復帰させたい旨を主治医に告げると、「腸管の吻合は難しい」と言われてしまいました。要は、腸管が短くてつなぎ合わせたくても若干届かない。無理につなげれば死のリスクもある――というのです。それを聞いて「そもそも仮設のはずでは」と思ったのですが、後日、主治医から聞かされたのは、「命はもって定年ごろまでかと思っていました」ということ。そんな深刻な病状だったのかと知り、驚きと生還の喜びを同時に味わいました。

 そんなことから永久ストーマを受け入れ、今はオストメイト(人工膀胱、人工肛門保有者)として講演を行い、オストメイト認知度を高める活動をしています。がんを経験した医師として、口腔がんとの向き合い方も変わりました。病気を治療するだけでなく、患者の不安な気持ちを少しでも軽くすることを考えるようになりました。

 がんになった原因を考えてみるに、私の結論ではストレス6割、食事3割、その他1割。私だけかも知れませんが、医学部内における歯学部出身教授ゆえの特有のストレスを常に感じていましたからね。

 定年後は、笑い、体力維持、野菜や魚中心の食生活と断酒のたまもので、走りも生活も右肩上がりになりました。

(聞き手=松永詠美子)

▽山本悦秀(やまもと・えつひで)1945年、愛知県生まれ。東京医科歯科大学大学院修了後、札幌医科大学を経て、金沢大学医学部歯科口腔外科の教授に就任。66歳で退職し同大学の名誉教授となった。2011年に「城南歯科医院」(東京・洗足)を開設し、現在に至る。著書に「走って治すぞ、ガン闘病。」(徳間書店)などがある。

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