上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

最先端の心臓手術であらためて痛感する「準備」の重要性

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 ここ3回ほど、最近の心臓手術についてお話ししました。検査機器や医療材料の大幅な進化によって、以前であれば手術できなかったり、手術できても身体機能の一部を失ってしまうようなケースでも問題なく手術できるようになっているのです。

 これまで紹介した心臓の動きを止めないまま狭心症に対する冠動脈バイパス手術と、傷んでいる大動脈弁をカテーテルを使って交換するTAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)をいっぺんに行うハイブリッド手術や、人工心肺装置を使って脳の血流を確保しながら弓部大動脈瘤と冠動脈バイパス手術を同時に行う手術などは、まさにそうした技術の進化があったからこそ実現できたといえます。

 こうした最先端の手術を行って痛感するのは、「事前準備の重要さ」です。以前から、手術で何よりも大切なのは万全な準備であるとお話ししてきましたが、検査機器の急速な進歩によって、その思いがさらに強くなっています。

 患者さんの心臓の状態を平面ではなく立体的に把握できるCTやエコーといった画像診断技術が開発されたことで、より理想的な手術の“設計図”がつくれるようになりました。患部にどうアプローチして、どのような処置を行えば理想的な完成形に近づけるのか。何かトラブルが起こった時は、どう対処すればいいのか。手術前に詳細なシミュレーションができるため、さらに万全な準備ができるようになったのです。

■リスクを減らしてより安全に宝物を手に入れる

 若手医師に対しても、「宝物を手に入れるためにいちばん大切なことは徹底的な準備だ」とよく話しています。

 宝物を探し出すには、それなりの作業が必要です。海に潜ったり、洞窟に入ったり、穴を掘ったり、人が足を踏み入れていないエリアに分け入ったりしなければなりません。ただし、これはリスクを伴います。時と場合によっては命を失う危険もあるでしょう。

 しかし、事前に万全の準備を整えればリスクは減らすことができます。宝物が眠っている場所にたどり着くまでに必要になる、最新鋭の設備や機材を場面に応じて揃えれば安全に宝物を入手できるようになるのです。ただ、その分だけ費用がかかります。だから、費用対効果という視点で宝探しにアプローチしなければなりません。

 これは、医療も同じです。病気を治すという宝物を安全に手に入れるためには準備が重要で、その際は費用対効果を考慮しながら新しい設備や機材を整えるということです。

 反対にいちばん愚かなのは、宝物が確実にあるとわかっている場所に何の準備もしないまま無防備な状態で突っ込んでいくことです。ただでさえ大きなリスクがあるうえに、突然のトラブルにも対処できません。宝物どころか自分の命さえ落としかねないのです。

 手術に臨む医師がいちばんやってはいけないのは、「あの部分さえ処置すればいいから簡単だ」と考えて、術前の準備をおろそかにすることです。簡単な検査結果を見た印象だけで「簡単だ」と見切ってしまう行為は致命傷になりかねません。患者さんの命を預かる医師は、術前に十分な検査をして患部の処置に至るまでに起こりうるすべてのリスクを整理し、最も安全なルートを選択して進まなければならないのです。

 そうした万全の準備を整えることによって、初めて「簡単な処置」が本当に簡単にできるようになります。そして、簡単なことが本当に簡単にできるようになれば、より複雑なケースでも対応できます。簡単なケースで準備するリスク管理を、より多面的に考えて実践すればいいのです。

 仮にこういうトラブルが起こったらこう対処する……想定よりも状態が悪くなっていたら違う方法にシフトする……といったように、ゴールに至る道筋をいくつも考えておく。紙芝居をしている最中に画面の1枚がなくなっていることに気づいたり、画面の順番がバラバラになってしまっても、そこから自分で脚本を書き換えて、物語をきちんと完結できるようなパターンを何本も準備しておくといった感じでしょうか。それくらいの余力がある状態で医師は手術に臨むべきです。

 事前の徹底した検査によって患者さんの全身状態を隠れた部分まで確認し、理想の完成形に至る手順や考えられるトラブルへの対処法、そのために必要な医療機器、材料、人員などを計算し、万全の準備を整えて本番に向かう。手術はまさに「備えあれば憂いなし」なのです。

■本コラム書籍化第2弾「若さは心臓から築く」(講談社ビーシー)発売中

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

関連記事