独白 愉快な“病人”たち

がんで胃を全摘 元プロレスラー田上明さんが一番心配だったこと

田上明さん
田上明さん(C)日刊ゲンダイ
田上明さん(元プロレスラー・59歳)=胃がん

「胃がんです。全摘がおすすめです」ってサラッと言うんだよ。それを聞いたときはショックでガーン! だったね。「全摘? ウソだろ。冗談言ってるんじゃないかこの医者……」って思ったけど、できた場所が悪かったみたい。がんのステージは1と2の間ぐらいだったけど、胃の真ん中にあったもんだから全摘になったんだ。

 あれは2018年の3月だったな。夜、友人の家で気持ちよく飲んでいたときにめまいがして倒れちゃったんだよ。でも、自分では「飲み過ぎかな」ぐらいにしか考えていなかったから、その翌日の夜も別の友人宅に飲みに行って、また倒れちゃった。

 カミサンに「今度倒れたら医者行かなきゃダメだよ」って言われた翌朝、意識不明で救急車で運ばれたの。カミサンいわく、俺の顔、真っ青だったって。

 どうやら胃に穴が開いていて、そこから大量出血していたらしい。血圧なんか上が60(㎜Hg)、下が40という状態だったから出血性ショック死の可能性もあったみたい。

 じつは現役時代から「心房細動」っていう不整脈の持病があって、血液サラサラの薬を飲んでいたから、なかなか血が止まらなかったんだ。結局、輸血を2リットルぐらいしてなんとか助かった。でもって、その後の検査で胃がんが見つかったというわけ。

 酒とたばこ、暴食に加えて不規則な生活を好きなだけしてきただけに「俺が胃がんで全摘か……」としみじみ思ったね。一番心配だったのはやっぱり「酒が飲めなくなるのかな」ということ。主治医には「たしなむ程度なら」と言われたけど、ちょっと“脅し”を入れながら聞いちゃったから、無理やり言わせた感じ(笑い)。おかげさまで今も酒、たばこはがんがんやってます。少し量は減ったけどね。

 それまでケガで入院はあっても内臓の手術なんかしたことなかったから、手術前は「嫌だな」と思ったよ。でも実際は手術後の方が大変だった。食えないんだよ。ちょっと食ったら苦しくなっちゃうし、よく噛んで少しずつ食わないといけないから時間がかかるし。体重なんか110キロぐらいあったのに、95キロまで落ちちまった。

 1カ月弱入院して退院するとき、すごくラーメンが食いたかったけど、病院から「いつぐらいになったらこれは食べてもOK」っていう目安が書いてある紙をもらっていて、それによるとラーメンは半年から1年後だったんだ。悔しいけど、苦しい思いはしたくないからなるべくその紙に沿って消化のいいものから食べていったよ。

 消化に悪いものは苦しくなるから、あんまりイイものは食わなくなったな。ステーキなんか昔は1ポンド(約450グラム)ぐらい平気で食ってたけど、今は3切れがいいとこ。150グラムも無理だね。すっかり粗食になったよ。

■後遺症で低血糖を起こし救急搬送

 あと、最近になって後遺症が出て、けいれんを起こして救急車で運ばれちゃったんだ。原因は低血糖。目がチカチカしてやたらガクガク震えるんだよ。

 カミサンが救急車を呼んだとき、俺は台所で立って作業をしていたんだけど、水道が出しっぱなしで目の焦点が合ってなくて、ガクガクしながら料理してたって。カミサンが「大丈夫?」と声をかけたら、「大丈夫だ」と答えたらしいんだけど、これは危ないと思って救急車を呼んでくれたんだ。

 昔、ジャイアント馬場さんが低血糖になった姿を見ていたから、自分でも低血糖の症状だとなんとなくわかった。でも、「糖尿病でもないのにどういうこと?」って疑問だった。医者によると、胃を全摘した人は低血糖症状を起こすことがあるそうで、すぐに出る人と数年後に出る人がいて、俺は3年後だったんだな。

 今は、がんを治療した病院に半年に1回のペースで通って消化剤を出してもらい、不整脈の病院には2カ月に1回、薬をもらいに行ってる。じつは不整脈だけじゃなく、高血圧と痛風の持病もずっとあって薬を飲んでいるから、朝4錠、昼1錠、夜2錠が日課。けっこう面倒よ。

 病気から学んだことは「不摂生はするもんじゃない」ということ。若い頃は体を酷使していたし、酒とたばこはやり放題、趣味のバイクや釣り、日本刀のコレクションにも大金を使って、健康のことなんて考えていなかったからね。今はもうほとんど処分しちゃって、残っているのは釣り道具用につくった釣り部屋だけ。もう釣りにも行かなくなったから、娘が「あの部屋ほしい」って狙ってるよ(笑い)。

 すっかり体がひ弱になっちゃったのが情けないね。昔は4月にはもう半袖だったけど、すっかり寒がりになった。体調は普通だけど何をするわけでもないし、先のことも考えない。毎日肉の仕込みをして店の隅の席で酒飲んで、たばこ吸ってるだけよ。唯一楽しみなのは、孫の成長を毎日見ること。今1歳7カ月。「美芙流」と書いて「ミハル」と読むんだよ。昔の暴走族の当て字みたいだろ(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽田上明(たうえ・あきら)1961年、埼玉県生まれ。高校3年生で相撲部屋に入門。玉麒麟のしこ名で西十両6枚目まで昇進したが、87年に廃業。同年プロレスラーに転向し、全日本プロレスでトップレスラーのひとりとして活躍した。2000年にプロレスリング・ノアに移籍し、09年には同代表取締役社長に就任。13年の現役引退後は社長業に専念した。17年に退任し、現在は茨城県つくば市で「ステーキ居酒屋チャンプ」を経営している。

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