独白 愉快な“病人”たち

前立腺がん克服した吉川精一さん「主治医の言葉に救われた」

吉川精一さん
吉川精一さん(本人提供)
吉川精一さん(80歳/元NHKアナウンサー・演歌歌手)=前立腺がん

「がん」と聞いた日の病院からの帰り道は、もうガックリしてしまって幽霊のようでした。勝手なイメージで「今日明日にも死んじゃう病気」だと思っていましたから、間もなく食欲がなくなって、痩せて、青白くなって仕事ができなくなるんじゃないかと心配で心配で……。

 でも、あれからちょうど10年。こうして元気で現在に至っています。

 前立腺がんが分かったきっかけは、NHK時代から健康診断でお世話になり、定年後も毎年診ていただいているかかりつけの病院での2011年6月の定期検査でした。「PSAの数値がちょっと上がっているからちゃんと検査を受けたほうがいい」と言われたのです。PSAは前立腺特有のタンパク質の値で、その数値が高いほど、がんの可能性が高いそうです。

 私は、当時から血圧、血糖値、中性脂肪が高めで1日に10錠以上の薬を飲んでいました。ただ、前立腺に関係するような自覚症状はなかったですし、PSAが何かも知りませんでした。でも、かかりつけ医の判断で検査をしてもらったおかげで早期にがんが発見できたのです。

 紹介されたのは「神奈川県立がんセンター」でした。6月半ばにあれこれ検査をしたあと、7月からさらに検査入院となり、「間違いなく前立腺がんです」という結果が出たのは7月半ばでした。ステージという言い方ではなく、「がんの進行度合いは真ん中へんです」と言われました。あとから聞いた話では、PSA値は「4でがんの疑い」と診断されるところ、がんセンターでの検査結果は「7」だったとのこと。現在は「0・01」くらいなので、当時の数値の異常さが分かります。

 がん告知のショックを救ってくれたのは、主治医の「前立腺がんはゆっくり進行するので、今日明日死ぬようなものじゃありません」という言葉でした。「ああ、そうなのか」とホッとしました。さらに「悪いものが早く見つかったのです。一緒に治していきましょう」と言っていただき、悲観していた考えを改めました。

「早く見つかったことに感謝して、あとはお任せしよう」と。

 思い起こせば、現在の上皇陛下もかつて前立腺がんを治療されている。私も上皇陛下を見習って治療に専念しようと思いました。

 治療は放射線を選びました。手術が嫌だったことと、尊敬する棋士の故・米長邦雄元名人が晩年に前立腺がんを患い、放射線治療を選んだと知っていたからです。「私もそうしよう」と単純に思いました。

 放射線治療を始めるにあたり、半年間以上薬を飲んだり、注射をしたりしましたね。もちろん仕事もしていました。そして、あの東日本大震災から1年に当たる日に政府主催追悼式の司会を務め、その2~3日後から全37回の放射線治療に入りました。

 原則、月曜から金曜まで毎日がんセンターに通い、終わったのは初夏を迎えた頃でした。その後は半年に1回の検査が7~8年続き、今は年に1回血液検査をしてもらっています。先生は「もう通院しなくても大丈夫ですよ」って言うんですけど、「いや、もう一度だけ」と言いながら押しかけています(笑い)。せっかくのつながりがなくなるのは嫌じゃないですか。何かのときに心強いので、このご縁を失いたくないんですよね。

■自力で薬をやめたい

 ご縁といえば、私が放射線治療に通っていたちょうど同じ時期に、カミサンが乳がんの手術をして同じがんセンターに入院していました。お互い寛解しましたけれど、乳がんは再発が心配で、いまだに年2回通っていますよ。でも、がんについてはお互いあまり話さないかな。

 そういえば、私は最近、腰痛に悩まされて近所の病院に行ったら「腎盂腎炎からくる腰痛だろう」と言われました。近々、検査に行くことになってます。

 すでに申し上げた通り、高血圧、血糖値、コレステロールなどをコントロールする薬をたくさん飲んでいます。いいと思うサプリメントも加えると、さすがに飲み過ぎなんじゃないかと思えてきて、そろそろ自力で薬をやめたいと考えるようになりました。だって、薬をやめれば血圧は下がるでしょう? 死ぬときは下がるわけだから……。薬をやめても、「可愛い孫たちがいるので長生きしたい」という思いが、自分にとって強いビタミン剤になってくれるような気もします。

 とはいえ、まだ薬は飲んでいますし、生活は規則正しく健康的ですよ。朝は6時30分に起きて新聞に目を通して、パソコンで雑感などを書き、夕方には散歩を毎日4000~5000歩。何より忘れてはいけないのは声の維持です。毎日4分間のニュース原稿を読んで、歌は必ず7曲歌っています。

 現実的にはコロナ禍で仕事はあまりありませんが、いつでも仕事ができる準備はできています。個人的にはアニメの声優をやってみたい。なかなかお声がかかりませんけれどね(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽吉川精一(よしかわ・せいいち)1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、NHKに入局。日本各地の地方局を経験して、81年から東京勤務になる。「ひるのプレゼント」「連想ゲーム」「のど自慢」「紅白歌合戦」などの番組司会を務めた。定年退職後、57歳で演歌歌手に転身し、現在までに14曲のCDをリリースしている。

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