人生に勝つ性教育講座

正室2人側室16人以上 徳川家康はなぜ未亡人ばかり相手にしたのか

岡崎城の徳川家康像

 映画や小説では加藤清正は徳川方の忍びによって毒殺されたと言われていますが、その時代の真言宗の高僧の日記では清正の最後は「身もこかれくろくなられける」と書かれています。今でいう劇症肝炎などによる急性黄疸ではないでしょうか。これは梅毒の特徴のひとつです。また、「当代記」には浅野幸長が梅毒で亡くなったとの記述があり、清正も「ひとへに好色の故、虚の病」と書かれています。

 むろん、当時は梅毒についてはほとんどわかっていません。ただ、家康は加藤や浅野が遊女と交わっていたことを知っていたため、遊女と遊ぶのは危険だと考えていたようです。あえて未亡人を選んだのは、子供を生んだ経験のある女性となら、子孫を残せるとの思いがあったからでしょう。

 人生の勝者は、自身の身を護り、子供を成し、家族を作り護っていくためにただ欲望のままに行動するのでなく、性病についても深い関心を持ち、防御策を講じることが大切なのです。

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尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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