上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

デバイスを使うほど高度な医療を誰もができるようになるが…

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 前回、僧帽弁閉鎖不全症に対する「マイトラクリップ」が、治療の選択肢としてガイドラインに加えられたお話をしました。マイトラクリップは、先端にクリップの付いたカテーテルを下肢の静脈から挿入して僧帽弁に到達させ、ずれてうまく閉じなくなっている2枚の弁の両端をクリップで留めて血液の逆流を改善する治療法です。これまでの外科手術のように開胸しなくても済む低侵襲な治療で、実施する医療機関が増えています。

 薬物治療後の早い段階からマイトラクリップの実施がガイドラインで認められたことで、カテーテルを使って心臓の内部を切開しないで治す内科治療がますます広まるのは間違いありません。

 以前、大動脈弁狭窄症に対しカテーテルを使って人工弁に交換する「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)という血管内治療が2013年10月に保険適用されて急速に浸透し、心臓手術を受ける患者さんが一気に減った事例があります。今回のマイトラクリップも、いずれ同じような流れになると予測できるのです。

 今回のガイドライン改訂は、そのバックグラウンドづくりの一環だったと考えることもできます。極端なお話をすると、「メスで切開して患部を処置し針と糸で縫って閉じる」だけで終わる外科手術に比べ、内科治療はカテーテルやクリップといった治療で使われる器具(デバイス)や機材が数多く必要です。その分、治療にかかる費用は開発費や治験費用など、内科治療のほうが高額になります。

 医療機器メーカーは投資の回収も重要課題で、治療法の確立によって内科治療が増えれば増えるだけ利益につながるといえます。そのため、それを“後押し”する雰囲気があるのは否めません。

 患者さんからすれば、体への負担が少ない低侵襲な治療を受けられる機会が増えることでプラスになる部分が多くあるのは事実です。また、一定の技術と経験で外科治療と同等の医療が提供できるデバイス治療は魅力的です。

 ただし、治療レベルを維持するための現場教育や医療安全管理が厳格に取り扱われなければならず、実施する医師の粗製乱造は絶対に戒めなければなりません。

■突出した医師が生まれなくなる可能性も

 少し噛み砕いてお話ししましょう。たとえば、いま目の前に紙とペンがあると想像してください。ある出題者がその紙にペンを使って何らかの問題を書き出し、解答を求めたとします。そうした状況になった時、偏差値の高い人は解答を出すまでのスピードが速く正解率も高くなります。逆に偏差値の低い人は解答が遅いうえに間違いも多くなります。

 しかし、その問題を3択形式にした場合、偏差値の高い人と低い人の解答スピードや正解率は差がなくなっていきます。さらに、偏差値の高い人にはスマホの使用を禁止し、低い人はスマホを使ってネット検索してもOKといった条件を加えれば、偏差値が低い人のほうが正解率がよくなる可能性もあります。つまり、何らかのデバイスを介入させればさせるほど、もともとの偏差値=能力差は小さくなっていくということです。

 これは医療も同じです。誰でも簡単に使えるデバイスをいくつも治療に介入させれば、これまでは技術や経験に依存していた高度な医療が、誰にでもできるようになる。そうなれば、患者さんが受ける恩恵は増えるでしょう。しかし、医師の突出した技術や希少な経験に基づいた成功例というものはどんどんなくなっていきます。出題者が「参りました」と脱帽するほどの見事な解答は出てこなくなり、「まあ間違ってはいないから正解だ」という程度の答えばかりになる可能性が高いのです。

 カテーテルを使った心臓治療もそうですが、そんなふうに医療も変わってきているといえます。実際、外科医になろうかなと考えている若手が、最終的にカテーテルを使う循環器内科を志望するケースが増えています。一方、外科医はどんどん仕事がなくなっていくため、どうにかしようと外科の領域でカテーテルを活用する治療に取り組む若手が多くなっています。こうした大きな流れを見ると、今後もカテーテルを使った切らない心臓治療が続々と登場するでしょう。いずれにせよ、こうした医療の変化が患者さんにとってプラスになるよう発展させるのが、われわれ医師の務めだと考えます。

■本コラム書籍化第2弾「若さは心臓から築く」(講談社ビーシー)発売中

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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