がんと向き合い生きていく

妻が胃がんに 心まで病気にならないよう気分を変えたいが…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 高血圧症でC病院の内科に通院中のBさん(58歳・男性)がこんなお話をしてくれました。

 ◇  ◇  ◇ 

 外来の待合室では、ひとつ置きの椅子に座り、全員がマスクをして話し声もなく、じっと自分が呼ばれるのを待っています。誰かが、座っている私の前を黙って頭を下げて挨拶して、通り過ぎていきました。帽子をかぶり、マスクをしているから誰だか分かりません。

 それでも、私も黙って頭を下げて挨拶をしました。人と人とが離れ、なんだか心も離れてきて、人間の社会が違ってきてしまった気がしています。

 我慢、我慢、我慢……。時にニコッとほほ笑むのは、スマホに送られてきた孫の写真と動画を見た時くらいです。

 待合室のテレビは音声を小さくしてありますが、テレビではコロナ対策の議論をしています。ある出演者が「後手後手だ」と言うと、政治家は「全力をあげて対策を行っていきます」と答えました。しかし、この「全力をあげて……」はもう聞き飽きました。とにかくコロナ感染を抑えること、早くワクチンを……と思いながら見ていました。

 実は昨日、同じC病院の外科で、56歳の妻が胃がんの診断を告げられ、「手術をすれば治る」と言われて帰ってきました。ところが、担当医からは「コロナで一般病棟が削減されて、手術予定日が決められません。もう少し待ってください。がんは進んでいませんから大丈夫だろうと思います」と言われたそうです。

 妻は「医師の言葉が『大丈夫です』ではなく、『大丈夫だろうと思います』だった……」と嘆き、「もう、がんのショックばかりじゃなくて、予定が決まらなくて心も病気になりそうだ」とイライラしています。そんな話を聞いた私もイライラしました。

 私は今日、診察が終了して血圧の薬の処方箋をもらった後、C病院も大変だろうと思いながらも、病院の玄関近くにあるがん相談支援センターに寄って、妻の手術予定について尋ねてみました。すると、看護師の名札をした方がこんなアドバイスをしてくれました。

「イライラなさると血圧にも悪いですよ。奥さまががんのことばかりではなく、心まで病気にならないように、旦那さんが気遣ってあげてください。気分を変えるのに、なにか趣味はありますか? リラックスできること、体がゆっくり気持ちがいい状態をつくること。心が病気にならない秘訣です」

 それなら、温泉だ。露天風呂がいい。すぐ頭に浮かびましたが、今は電車に乗るのが怖いから温泉にも行けません。私も妻も美術館や仏像巡りが一番の趣味でしたが、それもすべて閉館で行けないのです。

 看護師さんが「気持ちがいい状態をつくることが心が病気にならない秘訣」と、それこそ親切にアドバイスしてくれたのはありがたいのですが、これはどうしようもありません。どう考えても、やっぱりまず手術予定日が決まることが先決でしょう。

 家に帰って、仕方なしに図書館から借りてきた「心身養生のコツ」(精神科医・神田橋條治著)という本をパラパラめくっていたら、こんなことが書いてありました。心が病気にならないためには、ヨガの死体のポーズで「ちょっと死んでみる」というのです。

 居間で、妻と一緒に北枕にして手を床に向けて寝転んで、この「ちょっと死んでみる」をやってみました。本に書いてある通りに「溶けていく、溶けていく……」「全身の白骨がバラバラになって……」などとイメージしていたら、猫のミーちゃんが2人をまたいでいきました。その瞬間、2人とも笑ってしまいましたが、なかなかスッキリとはいきません。

 3日後になって担当医から電話があり、「確定はまだですが、変更がなければ2週間後に手術の予定となりました。また連絡します」と言われました。

「確定はまだ……変更がなければ……」

 それでも、妻も私も少しだけ落ち着けた気がしました。

 ◇  ◇  ◇ 

 がんを告げられ、さらに治療の予定が決まらない。これは大変な苦痛だったと思います。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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