あなたを狙う「有毒」動物

セアカゴケグモ 原産地の豪州でも1950年代以降死者はゼロ

足が咬まれると…
足が咬まれると…

 オーストラリア原産のセアカゴケグモが国内で初めて見つかったのは1995年、場所は大阪府高石市の工場敷地内でした。物流に乗って海を渡ってきたと考えられます。当初は「日本の冬を越せない」と言われていましたが、今では生息域を全国に拡げています。2020年時点で、まだ発見の報告がないのは秋田県と青森県だけですから、完全に日本の風土に馴染んで定着したと考えていいでしょう。

 真黒なボディに、背中に砂時計型(個体によっては1本の縦縞)の真紅の模様が入っています。これは雌の配色です。雌は体長1センチ、脚も含めれば3センチほどですが、雄はその半分もありません。しかも目立たない薄茶色をしています。

「刺されると死ぬ」と報道されたため、一時は大騒ぎになりました。ただしクモには毒針がないので「刺される」ことはありません。顎の下の毒牙で「咬む」のです。セアカゴケグモの雌は、長さ1ミリほどの毒牙を持っています。しかし雄の牙は小さすぎて、人の皮膚を貫けません。人に健康被害をもたらすのは、もっぱら雌に限られます。

「死ぬ」というのも大袈裟すぎます。発見から四半世紀以上が経過し、その間に数十人が咬まれて治療を受けましたが、死者はいまだにゼロです。本家のオーストラリアはどうかというと、1940年代までは、主に乳幼児や子供が何人か犠牲になっていたようです。しかし1950年代中頃に抗血清が実用化されて以来、1人も死んでいないといいます。また、王立メルボルン子供病院が公開している治療ガイドラインによれば、「セアカゴケグモの毒で命を脅かされる可能性はほとんどない」そうです。

■心筋梗塞と間違えられるほどの激痛

 死ぬ心配はなさそうですが、死ぬほど痛い目に合う危険があります。セアカゴケグモ咬傷の主症状は、耐えがたいほどの激痛です。咬まれた直後はほとんど痛みはありません。10分~1時間ほど後から痛み始め、時間とともに増していきます。それに伴って咬まれた周辺が赤く腫れ、さらにリンパ節まで痛み始めます。重症例では、別の場所も痛むことがあります。手指を咬まれると胸に激痛が生じたり(急性心筋梗塞と間違えられることがある)、足が咬まれると腹痛や背中の痛み(内臓系の病気が疑われることがある)に襲われるのです。

 さらに咬まれた場所の周辺で異常な発汗があったり、頭痛、倦怠感、吐気などの全身症状が出ることもあります。オーストラリアの文献には「持続勃起症が起こることがある」とも書かれています。勃起が数時間も続くと、ペニスが壊死してしまいます。怖いですね。

 とはいえ咬まれても、必ず症状が出るとは限りません。クモは相手に注入する毒液の量を調節することができます。クモにとって、人を咬んだところで腹の足しにもならないので、毒を使わないことが多いのです。オーストラリアの文献によれば、有毒咬傷は全体の1~2割しかないようですし、毒量が少ない場合も多く、大抵は1~2日で症状が緩和していきます。

 重症化するのは、その中のさらに数%に限られます。耐えがたいほどの痛みが数日も続く患者には、馬から作った抗血清が使われることがあります。馬にセアカゴケグモの毒を注射して抗体を作らせ、それを精製して患者に打つのです。

■血清開発が行われるが鎮痛剤で良いとの声も

 ところが、10年ほど前からオーストラリアの研究者や医師の間で「抗血清はあまり効果がないのではないか」と言われるようになってきました。アナフィラキシー(発生率約3%)や血清病(同10%)のリスクもあるので、むしろ使わないほうがいいという意見が強まっています。

 先ほどの王立メルボルン子供病院のガイドラインにも、「抗毒素の効果を支持する強力なエビデンスはない」「まずアセトアミノフェンや麻薬系の鎮痛剤で痛みの治療を行え」「抗血清を使う際にはリスクとベネフィットについて患者や家族と話し合うように」と明記されています。

 日本国内では、従来はオーストラリア産の抗血清が使われてきました。1995年から2017年までに病院で治療を受けた人は84人、そのうち7人に抗血清が使われたといいます。しかし近年、オーストラリア政府が抗血清の輸出規制を強化したため、現在は入手困難となっています。そこで、国産の開発が国の研究費を使って進められているところです。すでに試作品はできているようですが、まだ一般病院で自由に使えるようになっていません。

 いまはセアカゴケグモに咬まれても、抗血清の治療は受けられないかもしれませんが、対症療法だけで十分という専門家もいます。あまり心配する必要はないでしょう。

永田宏

永田宏

筑波大理工学研究科修士課程修了。オリンパス光学工業、KDDI研究所、タケダライフサイエンスリサーチセンター客員研究員、鈴鹿医療科学大学医用工学部教授を歴任。オープンデータを利用して、医療介護政策の分析や、医療資源の分布等に関する研究、国民の消費動向からみた健康と疾病予防の解析などを行っている。「血液型 で分かるなりやすい病気なりにくい病気」など著書多数。

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