上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

「医療安全」に対する認識不足が医療事故につながる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 今月11日、千葉市立青葉病院が医療事故を起こしたと発表しました。2019年11月、自転車で転倒した50代患者の左腕の肘関節手術を行った際、執刀した当時6年目の担当医が尺骨神経をメスで剥離する過程で、誤って神経の4分の3を切断。手術に立ち会っていた指導医もミスを見逃してしまいました。手術後、患者は指がしびれたり握力が低下するなどの後遺症が残っていて、病院側はミスを認めて損害賠償するといいます。

 病院の説明では、ベテラン指導医の介助を受けながら執刀した担当医が、難易度の高い手術なのにメスによる剥離にこだわり、慎重さを欠く手技上の過失があったとしています。担当医はすでに退職しているそうです。

 発表されている以上の詳しい状況はわかりませんが、同じように実際に手術に臨み、また若手医師を指導している立場から見て、思うところがいくつかあります。

■インシデントとアクシデント

 まず、患者さんに対して事前に担当医が手術で起こりうる合併症についてしっかり説明していたかどうかという点です。予定手術をする前には必ず「インフォームドコンセント」を行います。治療の詳しい内容、期待される結果や予後、起こる可能性がある合併症やリスクなどについて医師が適切な説明を行い、患者さんに納得してもらったうえで手術を実施するのです。

 たとえば、輸血は使わずに心臓手術を行う予定だった場合、そう患者さんに伝えてあったとしても、実際の手術では患者さんの状態が出血しやすかったために予想よりも出血量が多く、一度閉じたところを再び開胸して止血を行い、その際に輸血を使うケースがあります。こうした考えられる事態について、事前に「そうした可能性もあります」と患者さんに話してあるかどうか。そうであれば、何かトラブルが起こったとき、それは医療事故ではなく起こりうる合併症だと第三者も判断できます。

 今回の尺骨神経の切断についても、執刀医の医療過誤ではなく合併症のひとつと考えられるという意見も聞こえてきます。となると、担当医は患者さんに対して手術前に合併症やリスクについてきちんと説明していなかった可能性があるのです。

■インシデントとアクシデント

 担当医や病院側に「医療安全」に対する知識が不足していたとも考えられます。医療の質と患者安全を審査する国際的な病院機能評価機構「JCI」では、医療者のエラーはインシデント(偶発事象)とアクシデント(医療事故)に分類されています。

 インシデントは3段階の基準があり、レベル0「間違ったことが実施される前に気づいた」、レベル1「間違ったことが実施されたが、患者には変化がなかった」、レベル2「事故により患者に変化が生じ、一時的な観察が必要となったり、安全確認のための検査が必要となったが、治療の必要がなかった」とされています。

 アクシデントは、レベル3a「事故のため一時的な治療が必要となった」、3b「事故のため継続的な治療が必要となった」、レベル4a「事故により長期にわたり治療が続く(機能障害の可能性はない)」、4b「事故による障害が永続的に残った」、レベル5「事故が死因になった」という基準になっています。

 今回の医療事故は、レベル3とレベル4の中間くらいに位置していると考えられます。さらに、患者さん自身の特質や背景などに事情がある可能性も考慮すると、病院側が医療事故だと認めて謝罪したうえ賠償を発表したのは、やや過剰な反応だったとみることもできます。また、執刀医の技術や経験が少なくとも病院内では任せられるレベルにあると情報共有されていたかどうかも重要なポイントで、されていなかったとしたら病院側の管理不十分を問われても仕方ないことになります。

 もちろん、事故の詳細や患者さんの状態については公表されていないので、真相はわかりません。ただ、担当医や病院側は医療安全に対する認識が足りなかったという印象をぬぐえないところがあります。「患者さんを守る」という大前提を実現させるためには、何よりも医療安全の徹底が求められるのです。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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