その延長で高貴な人たちとの交流も増えていきます。たとえば、シューベルトは1818年、ハンガリーのツェルス(現在はスロバキア領)に住んでいたエステルハージ伯爵から2人の娘たちの音楽教師として雇われ、その館に滞在したといわれています。その時、伯爵の娘・カロリーヌとシューベルトに恋が芽生えたのですが、身分があまりに違いすぎたため恋が実ることはありませんでした。このことを題材にした映画「未完成交響曲~シューベルトの恋~」をご覧になった人もおられるでしょう。
シューベルトは叶わぬ恋に身を焦がしつつも、それが成就しない不満を他の女性との情事で処理したといわれています。梅毒に冒されたのはそのせいかもしれません。
いずれにせよ、シューベルトは25歳の1822年の年末か、1823年の初頭に梅毒の診断を受けたと考えられています。1823年の2月にシューベルトから音楽学者へ宛てた手紙が残されています。
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