人生に勝つ性教育講座

「梅毒」がシューベルトを歴史的な有名作曲家に変えた?

ウィーン市立公園のフランツ・シューベルト像

 その延長で高貴な人たちとの交流も増えていきます。たとえば、シューベルトは1818年、ハンガリーのツェルス(現在はスロバキア領)に住んでいたエステルハージ伯爵から2人の娘たちの音楽教師として雇われ、その館に滞在したといわれています。その時、伯爵の娘・カロリーヌとシューベルトに恋が芽生えたのですが、身分があまりに違いすぎたため恋が実ることはありませんでした。このことを題材にした映画「未完成交響曲~シューベルトの恋~」をご覧になった人もおられるでしょう。

 シューベルトは叶わぬ恋に身を焦がしつつも、それが成就しない不満を他の女性との情事で処理したといわれています。梅毒に冒されたのはそのせいかもしれません。

 いずれにせよ、シューベルトは25歳の1822年の年末か、1823年の初頭に梅毒の診断を受けたと考えられています。1823年の2月にシューベルトから音楽学者へ宛てた手紙が残されています。

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尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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