独白 愉快な“病人”たち

足だけでなく右手まで…松前ひろ子さん変形性股関節症との苦闘

松前ひろ子さん
松前ひろ子さん(C)日刊ゲンダイ
松前ひろ子さん(演歌歌手/71歳)

 今年4月19日、右足に人工股関節を入れる手術を受けました。今も週に2~3回リハビリに通っていまして、ゆっくり回復しているところです。

 事の始まりは16年前に遡ります。たまたま入った整体院のマッサージで、最後にギュッと足を引っ張られたときに激痛が走ったんです。痛いリアクションはしたのですが、その整体院の中国人スタッフはみんな、私の様子を見て見ぬふりで、最後まで無視されました。

「時間がたてば治るのかな」という予想はむなしくはずれ、そこから痛くなったり少し良くなったりを繰り返しました。

 整形外科もいくつか行きました。最初は「まだ軟骨があるから大丈夫。でも筋肉をつけたほうがいいですよ」と言われました。

 でも、当時は若かったので無理がききまして、普通に歩こうと思えば歩けましたし、普段はペタンコの靴を履いていても、ステージではハイヒールを履いたりしてね。そういう行動が少しずつ悪化につながったのだと思います。

 4年前から痛みで足を上げることも難しくなってきまして、手術を勧められるようになりました。

 人前では足を引きずらないように常に足を緊張させていたものですから、筋肉が硬直してますます悪化していきます……。でも、手術は避けたかったのでプールに通って筋肉をつけるように頑張っていたそんな折、主人が病気で入退院を繰り返すようになりました。

 看病で病院を訪れた際、足を引きずる私を見た先生方が「いま手術しないと大変ですよ」とおっしゃいました。でも私は「大丈夫です」と断り続け、病院から仕事に行くような状態で主人を看病しました。

 2019年の8月、主人が天国へ旅立って、そうこうしているうちに年が明けるとコロナ禍に見舞われました。仕事ができない状況になったこともあり、「そろそろ手術する時期が来たのかな」と覚悟を決めました。

 ところがその矢先、階段を下りようとして右足を前に出したら、つま先に力が入らずパタンとかかとが落ちたんです。「え?」と思って確認すると、つま先の感覚がなく、右足の指をまったく動かせなくなっていました。

 改めて主人が入院していた病院で診ていただいたら、「つま先の神経が麻痺しているので、このまま人工股関節の置換手術をしても元通り歩けるようにはなりません。足の指に力が入るようトレーニングが必要です」と言うのです。手術をしても治らないと聞いて悩みました。悩みながら自力で少しでも治そうと、痛みをこらえて毎日のようにプールに通いました。

 でもある日、四谷の交差点のど真ん中で派手に転倒しまして、手を突いた衝撃で右手は手根管症候群になり、手指もしびれて使いづらくなりました。股関節痛からつま先の麻痺で、次は手根管……。このままだと次から次が止まらないと考え、やっと手術に踏み切りました。

■今もリハビリ専門病院に通院

 手術した日はとても苦しかった。点滴に痛み止めが入り、座薬も使っていたので痛みはガマンできましたけれど、体に鉛が入ったように重くて全然動かないのがたまらなかったです。

 でもそれを乗り越えたら、日に日に治っていく感覚があり、言葉が適当ではないかもしれませんが楽しい入院生活でした。私の病室にはいつも大量のパンやジュースがあって、担当してくれる看護師さんやたまたま見学に来た研修医さんにも「好きなの持ってっていいわよ」と分けていたんです。そのうち、看護師さんたちが代わる代わる私の顔を見に来てくれるようになって、コロナ禍の入院でも全然寂しくなかったの(笑い)。

 リハビリも頑張りました。手術の翌朝、先生に「さぁ、車椅子に乗りましょう」と言われたときはどうなることかと思いましたけど、先生に体を起こされて車椅子に乗せられたら、まったく痛みがなくなってビックリしました。あまりにも楽なので、そのまま夕方のお食事まで乗りっぱなし。前夜はつらくて眠れなかった分、車椅子でお昼寝もできました。

 その翌日からは歩行器を使っての歩行。その後は徐々に歩行器なしで歩き、毎食後1000歩、20分ほど歩くことを心掛けました。リハビリ室では、つま先を麻痺させている萎縮した神経を伸ばすのが激痛でした。「先生、神経が切れそうです!」と悲鳴を上げたくらい。でも3~4日もすると痛くなくなり、「体ってすごいな」と思いました。

 1カ月で退院して、今は病院から紹介されたリハビリ専門病院に通っています。長年、痛みをかばいながら歩いていたクセもあるので、それを修正するまで時間がかかりそうです。9月には手根管症候群の手術も予定しています。

 主人を亡くして寂しいですけれど、おかげさまでたくさんの方に見守られていると感じます。ファンの方々からも事務所へたくさんお見舞いをいただきまして、決してひとりではないと思えました。だから、もうしばらく元気で歌い続けたい。一歩一歩、地道に頑張っていきます。

(聞き手=松永詠美子)

▽松前ひろ子(まつまえ・ひろこ)1950年、北海道生まれ。いとこである北島三郎の内弟子として修業後、69年「さいはての恋」でデビュー。2年後に交通事故に遭い一時活動を休止したが、80年に再デビューを果たし、「祝いしぐれ」「初孫」などがヒット。歌手人生52年を迎えた今年、新曲「春隣り」を発表。BS日テレ「あさうたワイド」(毎週木曜朝5時~)では三山ひろしと司会を務めている。

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