独白 愉快な“病人”たち

ずっと震えていた…歌手の黒木じゅんさん急性膵炎を振り返る

黒木じゅんさん
黒木じゅんさん(C)日刊ゲンダイ
黒木じゅんさん(歌手/55歳)=急性膵炎

 ある日の夜、胃から胃の裏にかけての痛みが始まり、朝にはピークに達していました。次第に手がしびれて冷たくなってきたので「これはやばい」と思って、痛み止めをもらいに病院に行こうと考えました。その日は、お世話になった方の娘さんの結婚披露宴で歌う仕事が入っていたのです。

 マンションのエレベーターで1階まで降りました。でも着いたときにはもう立てなくなっていて、うずくまりながら管理人さんに救急車を呼んでもらったのです。結論から言うと、死んでいてもおかしくないくらいの「急性膵炎」でした。

 後から聞いた話では、家族は医師から「この3日間がヤマです」と告げられていたそうです。

 当時、36歳でした。救急車で運ばれている間、ずっと寒くて震えていました。病院に着いて血液検査をすると白血球とアミラーゼの数値が異常に高いことが分かり、すぐに「膵炎」と診断されて即入院になりました。アミラーゼは膵臓に含まれる消化酵素のひとつで、膵炎はこの消化酵素の出すぎによって自分の膵臓を消化してしまうことで起こる炎症です。

 それでも、担当医に「いや、今日は仕事が……」と言いかけると、「死ぬ気ですか?」と言われ、披露宴への出演はキャンセルを余儀なくされました。

 急性膵炎の死因の大半は脱水と痛みによるショック死だそうで、すぐに点滴で水分が補給され、別の管で炎症を抑える抗生剤の点滴も始まりました。これが退院する日まで40日間、24時間態勢でずっと続いたのです。

 最初の10日間は、痛みで七転八倒しました。寝返りを打とうものならハンパなく痛いですし、じっとしていてもズキンズキンと脈を打つ痛みがあり、寝ることもできません。どうにもガマンできないときは鎮痛剤のモルヒネを打ってもらいました。モルヒネを打つとウソのように痛みが治まって、その間だけ眠れるのです。その気持ちいいことと言ったら!(笑い)。でも、数時間でまた痛みがぶり返します。強力な痛み止めなので何度も打てないと聞きましたが、2~3回は打ってもらったと記憶しています。

 そんな痛みも10日目を過ぎると少しずつ減っていき、痛みが気にならなくなったのは30日目ぐらいでしょうか。

 炎症がすっかり治まるまでは絶飲食でした。口から何か入ると膵臓が消化酵素を出してしまうから水もダメ。食事ができたのは退院間際でした。最後まで首から点滴の管が2本ぶら下がっていましたね。初めは腕から点滴していたのですが、強い薬で腕の血管だと3日で赤く腫れあがり、血管痛を起こすのでわりと早い段階で首へと移動しました。

 そんな状態だったのですが、膵臓を切除するには至らず、20年近くたった今でも温存しています。

■コロナ禍以前は3年連続で年末に入院したことも

 コロナ禍前は2カ月に1回、コロナ禍後も3カ月に1回、ずっと検診に通い続けています。CT画像を見ると一部分だけ白くなっていてがん化の可能性もあるので、こまめに診ていただいて慎重にコントロールしています。

 急性膵炎の原因は、おそらくお酒の飲み過ぎです。倒れた前年は7~12月の約半年間、たった一人で50㏄のスクーターに乗って全国47都道府県を回るという新曲のキャンペーンを実行しました。本当にまったくの一人なので、晩酌だけが唯一の楽しみ。一日中走ってクタクタになった後は、一段とお酒がおいしくて毎晩飲んでいました。1度の量はそれほどではないものの、休みなく走り続けた疲労も重なって、かなり膵臓に負担がかかっていたのでしょう。キャンペーンが終わってホッとした途端、ドカーンと来たのだと思います。

 だから退院後は断酒したのです。2年半は……。でも、なぜかまた飲み始めてしまいましたね(笑い)。飲む量には注意していますけど、年末になるとどうしてもちょっと多めになる傾向がありまして……。公表していなかったのですが、コロナ禍前の2016年から3年連続で年末に入院しました。「ちょっと痛いな」という状態で病院に行ったら入院になったり、定期検査の結果で数値が悪くて入院になったり……。体は元気でも、毎回10~14日間、アミラーゼの数値が下がるまで点滴されました。

 コロナ禍になってお酒を飲む機会がグッと減ったので、昨年末は大丈夫でした。でも、今年は僕にとって特別な年、要注意の年なのです。

 僕は今年デビュー30周年で、55歳を迎えました。じつは父・黒木憲がデビュー30周年で55歳を迎えた年、脳梗塞で倒れているのです。遡ると祖父も55歳のときに脳溢血で倒れています。かかりつけ医には今のところ脳梗塞の可能性は少ないと言われていますけれど、用心しなければいけません。

 日頃から気を付けているのは、1日最低2リットルの水分をとること。喉が渇いていなくても飲むようにしています。

 36歳だった19年前、長期入院で歌えないつらさを味わったので、今の僕は健康への意識も知識も高くなったと思います。ただ、お酒はやめられませんけどね(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽黒木じゅん(くろき・じゅん) 1966年、東京都生まれ。1991年に唐木淳としてデビューし、「やせがまん」で日本レコード大賞最優秀新人賞ほか数々の賞を受賞。その後、父の名を冠した「黒木憲ジュニア」の名義を経て、2016年に黒木じゅんに改名。デビュー30周年を迎えた今年は新曲「離れても」を発表した。「黒木じゅん30周年記念全曲集」も発売中。

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