人生に勝つ性教育講座

「梅毒を武器に敵と戦った女性」を描いたモーパッサンの背景

「あたし、仕返ししてやろうと思ったんですわ!これをいいことに、あたしも、やつらに、手あたりしだい、病毒を、一人でも多くうつしてやりました。やつらが、ルーアンにいるかぎり、治療なんか、しませんでしたとも」

 これは19世紀に活躍したフランスの小説家・モーパッサンが書いた、「二十九号の寝台」という短編小説の一節です。主人公の若き大尉は遠征先である美女と付き合います。ところが大尉が出征中にその女性の住む街が敵方に占領され、愛する女性は敵兵に力づくで犯され、梅毒をうつされてしまいます。彼女はその仇を取るため治療をせず、その後、何人もの敵方将校と付き合い“梅毒を武器に戦った”と勲章を胸に凱旋した大尉に告白するのです。事実を知り、離れようとする大尉に彼女はこう言い放ちます。

「このあたしがよ、あんたの連隊みんな寄せ集めたよりは、あたしのほうがよっぽど殺したんだよ…卑怯者!さっさとお行き…」

 なんともすさまじい話ですが、現実にありそうなことでもあります。HIVが騒がれた頃、行きずりの女性と一夜を共にした男性がふと目覚めると、女性の姿はなく、鏡台の鏡に口紅で「エイズの世界にようこそ」と書かれていてゾッとした…なんて都市伝説があったことを思い出します。

 作者のモーパッサンは代表作の「女の一生」をはじめ、42歳で亡くなるまでに300を越す中短編、6編の長編、3冊の旅行記、250に及ぶ時評文、共作を含め2編の戯曲を残した作家です。若い頃に普仏戦争に従軍し、敗走の経験があり、従軍中の体験を元にした作品を数多く残しています。「二十九号の寝台」はそのひとつです。

 梅毒をテーマにしたのは、モーパッサン自身が梅毒だったからかもしれません。彼は27歳頃から梅毒による神経障害に苦しむようになり、38歳で不眠症を患い、奇行が目立つようになります。「エッフェル塔を見るのが嫌で、エッフェル塔のレストランで食事をした」というエピソードはこの頃の話です。そして41歳でピストル自殺未遂を起こして精神病院に入院し、そのまま42歳で亡くなります。

 モーパッサンが梅毒に感染した当時の人たちはその深刻さに気づいておらず、軽く考えていたようです。それは梅毒が症状が出ては消え、消えては出てくるを繰り返しながら重症化するため、その経過を知る人が少なかったからかもしれません。

 実は梅毒の患者はどのように重症化し、亡くなるのか、医療関係者でも長い間わかっていませんでした。それを調べるために恐るべき実験が米国で行われたことがあります。それが「タスキギー梅毒人体実験」です。梅毒を治療せずに放置したらどうなるかを調べるため、1932年から40年間にわたり、米国アラバマ州のタスキギーという町の黒人600人を対象に、米国の政府機関によって行われました。

 実験対象となった黒人は梅毒患者の399人と感染していない201人。参加者は梅毒に罹患していることは知らされず、「実験後に梅毒治療した場合は、実験開始時に交わした優遇措置が得られなくなる」と告げていたと言われています。その優遇措置とは、政府が実施する検査や医療を受ける登録をした者は、①無料で身体検査をしてもらえる②自宅から診療所への往復の交通費が無料③身体検査日には温かい食事が出される④簡単な病気の場合には無料で診療される⑤死亡時に解剖を受けた場合には遺族に埋葬代のほかに年金が支給される…などです。実験に参加したのは、すべて教育程度が低く経済的にも貧しい黒人でした。当時は人種差別が激しい時代でもありました。

 実験は1972年に内部告発により明るみになり、即刻中止されました。その後の調査で1969年時点で少なくとも28人が、恐らくは100人以上が梅毒が原因で亡くなっていたことがわかっています。クリントン米大統領は1997年5月、当時の生存者8名らに正式に謝罪しています。

 梅毒に限らず性感染症で被害に遭うのは常に貧しく、知識のない人たちです。少なくとも知識があれば、性感染症の犠牲にならなくて済むのです。どうか、より多くの方が偏見を持たずにその知識を持ってもらいたいと思うのです。

尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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