独白 愉快な“病人”たち

「声がれ」は死活問題…立川談笑さん甲状腺がん手術選択の苦悩

立川談笑さん
立川談笑さん(提供写真)
立川談笑さん(落語家/55歳)=甲状腺乳頭がん

 マメに人間ドックを受けていたときには、毎度、中性脂肪が高めだの、肥満だ、酒の飲み過ぎだと自分でもわかっていることしか指摘されなかったので、検査しても意味がないと思って5年間ほど受けずにいたんです。そうしたら「甲状腺がん」ができていました。

 やっぱり、人間ドックや健康診断は怠らず受けたほうがいい。「ここがあやしい」と思っているところは大概何もなくて、まさかのところに見つかることがあるので、その年々で焦点を変えてまんべんなく調べるのがいいのではないでしょうか。

 がん発見のきっかけは去年10月の区民健診の肺のレントゲン検査でした。その画像を見たかかりつけ医から「胸郭が普通より広がっているけど心当たりはありますか?」と聞かれたのです。「じつは小学生の頃から甲状腺に腫瘍があります。当時検査で『良性』と言われたのですけど……」と答えると、「50歳を過ぎていることもあるし、悪性になっている可能性もあるので甲状腺の専門病院で診てもらったらどうですか?」と言われました。

 紹介されたのは東京の表参道にある伊藤病院。小学生のとき検査したのもその病院だったので、約40年ぶりに足を運びました。喉のしこりとは長い付き合いですし、「良性だから大丈夫」と余裕をもって血液検査を受けると、「良からぬ(腫瘍)マーカーが出ています」と言うのです。それで細胞診を受けることになり、悪性を覚悟しました。

 覚悟はしても、「がん」と聞いたら頭が真っ白になるものです。告知の後、今後の治療のお話をしっかり聞いて、冷静に対処したつもりでしたが、なぜかスマートフォンを診察室に置き忘れ、看護師さんが届けてくれるまで気づきませんでした。完全に動揺していましたね。

 甲状腺がんは3センチでも大きいと言われるところ、6センチ近くもありました。さらにリンパ節へも転移があったので、甲状腺全部とリンパ節の切除手術をお勧めされました。ただ、甲状腺がんの中でも乳頭がんは10~20年かけてゆっくり進行するものなので、経過観察を選択する人も少なからずいるそうです。

 私が手術を選択したのは、70~80歳で手術が必要になるのだったら、今切った方が体力的にいいだろうと考えたから。甲状腺を取ってしまっても、それを補う薬を毎日飲めば生きる上では問題ないことも知りました。

 唯一の問題は、甲状腺の両脇に反回神経という声帯につながる神経があって、わずかに引っ張っただけでも声がれの危険が生じるということでした。しかも初めは「その可能性は1割ぐらい」と言われていたのに、検査を重ねるごとに想定が悪い方へ傾き「運が良くて声がれ、悪いとどこまでかわからない」と変わったので、かなり深刻に悩みました。

 命に関わることはないけれど、声がれは落語家にとって死活問題です。「落語ができなくなったら……」とか「弟子はどうしよう」とか「腫瘍が声帯につながる神経を取り囲んでいて神経ごと切らなければならない状態だったら、何もせずにそのまま閉じてもらおう」などと、いろいろ考えました。

 でも覚悟を決めて手術した結果、おかげさまで落語を続けられています。

(提供写真)
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退院後の食事制限がつらかった

 手術は今年の5月31日でした。麻酔から目覚めて真っ先に自分の声が出せたときには、うれしくて看護師さんたちを相手に話しっぱなし。まさに気分は絶好調でした。

 ただ、つらかったのはそこからです。退院後1カ月間は食事制限をしなければなりませんでした。手術で微細に傷ついたリンパからリンパ液が染み出て胸に入ると危険なので、リンパ液をつくらない食事が必要だったのです。「乳糜漏食」といいまして、脂質ゼロ食です。肉はダメ、魚もほとんどダメ、卵も乳製品もゴマもダメ。もう本当にしんどかったです。

 それが終わってホッとしたら、今度は「ヨウ素カット食」になりました。ヨウ素は海藻などに多く含まれる成分です。8月に行う最後の治療のためにヨウ素欠乏状態をつくります。「放射線ヨウ素服用療法」という治療で、放射線を帯びたヨウ素のカプセルを一粒飲む予定です。この放射線を帯びたヨウ素が、手術で取り切れなかったがん細胞など悪いところに吸着してやっつけてくれるそう。吸着率を上げるため、なるべく枯渇させるわけです。

 カプセルを飲んだ後は体から微量な放射線が出るらしいので、3日間は家族と同じ部屋で寝ないようにとか、食事は別々にといった注意事項があります。トイレは2度以上流すとか、お風呂は最後に入るとかね。いっそ入院する人もいるそうです。すぐに家に帰るのは心配なので私も思案中です。

 6月半ばには仕事復帰ができ、首の傷痕ももうシワと見分けがつかないくらいです。声はまだ自分の感覚では出づらい瞬間がありますけど、声がれもなく、だんだん元に戻りつつあります。再び落語ができる「声」があって本当によかったです。(聞き手=松永詠美子)

▽立川談笑(たてかわ・だんしょう)1965年、東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、93年に立川談志に入門。96年に二つ目、2003年に6代目・談笑を襲名した。05年には真打ちに昇進し、テレビ番組でリポーターを務めるなど活躍。15年度、彩の国落語大賞受賞。月例独演会のほか、SNSでは料理動画もアップして好評を博している。

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