人生に勝つ性教育講座

棺桶を担いで世界旅行した英国の有名政治家チャーチルの最後

息子のウィンストン・チャーチル元首相(C)World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

 その後、体調を崩したランドルフ・チャーチルは昏睡状態で帰国。その1カ月後の1895年1月24日早朝に妻と母親、息子のウィストンとジョンらに看取られ亡くなります。

 残念ながら死後のランドルフ・チャーチルの評価は必ずしも良いとはいえなかったようです。それは討論でのヒーローではあっても政治的業績を残していない、とみられていたからです。そこで息子のウィストン・チャーチルは自ら父親の伝記を執筆し、見事に父親の名誉を守ったのです。

 ちなみにランドルフ・チャーチルは梅毒の罹患を知ってから妻との夜の営みは断ったといわれ、ウィストン・チャーチルに影響が及ぶことはなかったそうです。

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尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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