独白 愉快な“病人”たち

小林幸子さん網膜剥離を振り返る 医師に「失明しますよ」と言われ頭が真っ白に…

小林幸子
小林幸子(提供写真)
小林幸子さん(67歳・歌手)=網膜剥離

 これはね、もう本当に突然! 「網膜剥離」なんてビックリしました。

 私、自分で言うのも何ですけど丈夫で元気なんです。何しろ検査が大好きなの。いわゆる検査フェチ(笑い)。心配性なんですかね。病気が怖いから検査専門の病院にしょっちゅう行っています。あまりにも頻繁に行くものだから、「あんまり来なくていいですよ」って言われちゃうくらい。先生から「大丈夫です!」と言ってほしくて行っているようなところがあります。

 ただ、1カ所だけノーマークだったのが「目」だったんです。それまで老眼以外は何の問題もありませんでした。飛蚊症はたまにありましたけど、周りに聞いたらみんなあるっていうから気にしていなかった。

 それがある日、右目の中に小さい黒い点が連なってクルクル回って見えたのです。「おかしいなぁ」と思っていたら30分ぐらいできれいに消えました。「何だったんだろう」と思いながらも、そのことを忘れて過ごしていたら、2日後に大きい黒い点がグルングルン回っている……「これは普通じゃない」と慌てて病院で検査を受けました。

 そうしたら、先生が一言、「幸子さん、今から手術です」とおっしゃったのです。「え? 私のこれ、なんですか?」と聞いたら「網膜剥離です」と言うのです。それが2019年9月下旬のことでした。

 驚いたのはその後です。「4日後にNHKの生放送があるので、それが終わってからじゃダメですか?」と尋ねると、先生はずいぶん考えて「うーん、間に合うかな」とおっしゃったの。ドキッとして「どういうことですか?」と聞いたら、「失明しますよ」と言われたのです。そのときの心境たるや、頭が真っ白になりました。

 その日は、先生が譲歩してくださって自宅に帰りました。でも、「水平線から朝日が出るような、夕日が沈むときのようなオレンジ色の絵が見える症状が出たらすぐ来てください」と言われました。で、その翌朝、さっそく朝日が昇っちゃって(笑い)。結局、即手術になりました。

 網膜剥離は、簡単にいえば部屋の壁紙が剥がれたような状態です。手術は2通りを提示されました。ひとつはガスを眼球の中に入れ、ガスの圧力で網膜を張り付ける方法。もうひとつはオイルを注入する方法です。ガス注入のメリットは1カ月ほどでガスが体に吸収されるので1度の手術で終わること。ただし、ガスを入れたら1カ月間は飛行機に乗れません。気圧でガスが膨脹してしまうからです。

 当時はコンサートで全国を回っていましたから、飛行機に乗れなくなるのは困ります。ということで、オイル注入の手術をしました。オイルの場合はオイル抜きのためにもう一度手術をしなければならないのですが、仕方がありません。

 最初の入院は3日間ぐらいでした。術後1日はうつぶせ状態でいなければいけなかったのが一番つらかったですね。

 それでも翌日の夕方には、お化粧をして病院からテレビの収録に出掛けました。それは私のために作っていただいた番組だったので、キャンセルしたくなかったのです。

 先生もしぶしぶでしたがOKしてくれました。「本当はよくないんですけど、この目薬を本番直前にさしてください」と痛み止めを持たせてくださいました。30~40分しか効果がないので、収録の後半は痛みが出ちゃいましたけどね。

 それから3カ月、オイルを入れたまま眼帯生活でした。片目での生活はとても疲れました。仕事もたくさんありましたので、本番は眼帯を外して慎重にお化粧をして……。

■まだ色の見え方が左右で違う

 そして迎えたクリスマスの日、オイルを抜く手術を受け、それから1年半以上たちました。じつはまだ右目は元通りではありません。手術は成功して網膜剥離は治っているんですけど、色の見え方が左右で違います。

 初めてそれに気づいたのは、オイルを抜いて3カ月後ぐらいでした。もう視力がだいぶ回復したように思ったので、近所までクルマを運転して出かけたのです。信号待ちでふと「右目だけで見てみよう」と左目をつぶって信号を見上げたら、赤でも黄でも青でもなく、真っ黒でした。もうビックリしました。普通に見えると思ったのは、左目がカバーして見ていたので自然に見えていたんです。

 いまだに電気系の光だけがまだ少しモノトーンです。それ以外の色も左右で少し色みが違います。先生に聞くと「長年かかる人もいるんです」って。「それ早く言ってよ」と思っちゃいました(笑い)。

 でも、失明するかもしれなかったのですから、嘆くのではなく、見えることに感謝して生きようと思います。人生、健康がどれだけ幸せかってことですよね。元気なうちにやりたいことはやりたいですし、思い切り遊びたい。唯一の趣味がスキューバダイビングなので、できる環境になったらすぐにでも行きたい気持ちです。

(聞き手=松永詠美子)

▽小林幸子(こばやし・さちこ)1953年、新潟県生まれ。64年、10歳のときに「ウソツキ鴎」でデビュー。79年に「おもいで酒」が大ヒットし、数々の賞を受賞した。同年、NHK紅白歌合戦に初出場して以降34回出場。2006年には紺綬褒章を受章している。近年、ニコニコ動画などに出演し、若い世代からも支持されている。

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