独白 愉快な“病人”たち

「今なら助かりますよね?」と無意識に…桑野信義さん直腸がん手術を振り返る

桑野信義さん
桑野信義さん(C)日刊ゲンダイ
桑野信義さん(トランペッター、タレント/64歳)=直腸がん

 昨年秋、検査で「直腸がん」が発覚しました。がん摘出手術をしたのは今年2月。一時はストーマ(人工肛門)になりましたけれど、今は自前の肛門に戻りました。

 もともと大酒飲みで、これまでだいたい東京ドーム2杯分ぐらい飲んでたかな(笑い)。しかもなんでもロックで飲むのが好きだったから、夜中に喉が渇いて水をガブガブ飲むわけです。

 必然的にお腹の調子が悪くて、若い頃から便秘と下痢を繰り返していました。

 そのうち便に血が混じるようになったのです。でも、すぐに検査には行きませんでした。だって嫁さんにも見せたことない部分を他人に見せるのイヤでしょ……しかもお金を払ってさ。

 そうこうしているうちに、仕事にならないくらい常にトイレの心配をするようになりました。仕方なく検査に行くと「ポリープがいくつかある」という結果だったので、内視鏡でササッと切ってもらったのです。

 ところが、1つだけ切れないものがありました。それが立派に育った直腸がんだったのです。直径にして3~4センチかな。肛門の道をふさぐほどの大きさで、がんの写真を見せられたとき焦りました。そして無意識に「今なら助かりますよね?」と先生に尋ねていました。

 一番気がかりだったのは、2021年4月から始まるシャネルズの「40周年ツアー」です。1年の延期を経てやっとできるので、「ここまでには間に合いたい」という願いとともに治療を始めました。

 がんは肛門近くにあり、さらに左脚付け根あたりのリンパ節にも転移がありました。つまり人工肛門になるリスクが高かった。そのリスクを低くするために、まずはがんを小さくするための「XELOX(ゼロックス)療法」という抗がん剤治療をしました。

 オキサリプラチンという抗がん剤を病院で投与した後、家で3週間ゼローダという薬を毎日服用。そして1週間空けて、またオキサリプラチンから……というサイクルを8回繰り返す治療でした。途中から、がんに栄養を供給する血管を攻撃するための抗がん剤も加わり、副作用にもなんとか耐えていました。

 そして4回目が終わったとき、がんが小さくなっていることと転移が広がっていないことが分かったので、いったん手術となったのです。

 手術は「ダビンチ」(低侵襲内視鏡ロボット支援手術)で14時間かかりました。

 気づいたら集中治療室で管だらけ。それより気になったのはストーマの位置でした。手術前、医師からこう言われていたのです。

「この手術が終わってストーマが左側についていたら一生もの。右側なら仮設です。手術してみなければ、どちらになるか分かりません」

 だから目覚めてすぐ看護師さんに聞いて、仮設だとわかったときには安堵しました。

 入院中はコロナ禍でお見舞いの人もいないので、看護師さんと話すことが楽しみでした。ストーマ外来の若い女性の先生がストーマのカタログを持ってきてくれて、「どれがいいですか?」「これがいいかな」なんて言っている時間は、まるでデート気分でしたよ(笑い)。

■心がダメになると思い抗がん剤を中止

 そんな淡い楽しみも1カ月ほどで終わり、退院後には残りの抗がん剤治療が始まりました。これが、手術前にも増してつらいのです。

 抗がん剤の副作用を和らげるためのステロイド入りの点滴をしてから投与しているのに、お腹の調子は悪いし、吐き気は止まらない……食事ができない、フラフラで歩けない、気持ちもどん底に沈む。

「これを続けていたら、がんではなく心がダメになる」と思ったので、ツアー復帰も考慮して抗がん剤治療をやめる決心をしました。

 医師も「8クールやれば絶対に再発・転移しないとは言い切れないし、ここでやめても再発・転移しない人はいる」と言うので、7月まで続くはずだった抗がん剤治療を4月にやめ、その後は食事中心に改善して免疫力を高める生活を始めました。

 ストーマを閉じたのはこの5月のことです。3カ月間の仮設肛門でしたけど、僕は「ジュニアちゃん」と呼んで可愛がっていたのでお別れは寂しかったです。ただ、3カ月のブランクは意外と大きくて、すぐに元通りとはいきません。肛門からすれば、「おまえ、勝手に人工肛門にしたくせに、今さら戻ってきてなんだよ」ってなもんです。肛門の役割がまだ不十分なので、念のため今もオムツを着けてリハビリ中です。

 40周年ツアーに合流できたのは7月でした。ありがたいステージでしたね。1年の延期もある意味、幸運でした。もしも仕事が順調に入っていたら、検査を受けることもなかったですから……。

 まだ手先や足先のしびれがあるし、リンパ節を取ったせいか左脚の感覚が鈍くて歩きにくい状態です。それでもあれこれ気に病まず、いい意味で開き直って生きることにしました。ノンストレス実践中です。いろいろ不義理していますけど、今は自分が一番。「究極の自己中」をお許しください。

(聞き手=松永詠美子)

▽桑野信義(くわの・のぶよし)1957年、東京都生まれ。1975年に鈴木雅之らと「シャネルズ」を結成し、トランペッターとして80年に「ランナウェイ」でデビュー。83年に「ラッツ&スター」に改名し、代表曲に「め組のひと」などがある。80年代後半からバラエティー番組にも出演し、「志村けんのバカ殿様」の爺役でお茶の間の人気者に。息子はミュージシャンのMASA。

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