独白 愉快な“病人”たち

ミッキー吉野さん 糖尿病が悪化し狭心症、脳梗塞と…医師の“脅し”に助けられた

ミッキー吉野さん
ミッキー吉野さん
ミッキー吉野さん(69歳)=糖尿病・狭心症・脳梗塞

「14年後に糖尿病がひどくなるぞ」

 32歳のときに人間ドックでそう言われたことが、まさか的中するとは思っていませんでした。

 46歳だった1997年、持病の糖尿病の悪化から、いわゆる「狭心症」の症状が表れたのです。心臓が3分の1ぐらいしか動いていないと言われ、血管内にステント(血管を広げるための網目状の筒)を3つ入れる手術を受けました。このときの入院は7週間で、あまり愉快な話ではないのですが、その1年後、この入院が良かったと思うことが起きました。

 じつは退院するとき、医師から「あなたは心臓にも頭にも爆弾を抱えているんですよ」と、ものすごく脅されたのです。「糖尿病というのはバカにできない病気で、動脈硬化になりやすくて、常に心筋梗塞や脳梗塞の危険性がある。ちょっとでもおかしかったら、すぐに来なさい」と再三再四、言われ続けたのです。おかげですっかり“恐怖”を植え付けられていました。

 そして迎えた1998年、止めた車から降りて歩き出すと、急に左半身が軽くなったのです。それまでのこわばりや肩こりも感じなくなって、まるで体の左側だけが初期化されたような感じがしました。「これはついに来たか?」と思ったと同時に、「とにかくすぐ来なさい」という医師の言葉が頭に浮かび、あれこれ考える間もなく自分で車を運転して一目散に病院まで行きました。

 結果的には、この判断が良かったのだと思います。安全運転で病院まで30分ぐらいかかったでしょうか。着くとそのまま救急処置室に入って「脳梗塞」と診断され、すぐに治療を受けました。ステロイドの点滴です。

 病院に着いた頃には、だいぶ左半身が動かない状態で、唇も半分下がっている感じでろれつも回らなくなっていました。それでも自分の場合は、処置までが早かったので、後遺症は少なくて済み、こうして今も両手で演奏できていることを幸せに思っています。

■後遺症は左半身に薄く残っている

 ただ、左手は今でも完璧ではありません。

 周囲の人にはわからなくても自分ではわかるのです。左手は右手の倍ぐらい動きがぎこちない。ピアニストとしては致命的なことで、当初は「まいったな」と思いました。

 ショックでしたよ。退院してピアノを弾いてみると、弾けないものがいっぱいありました。たとえば、両手で同じテンポで同じフレーズを弾くユニゾンという奏法があるのですが、どうしても正確性が保てない。昔のようにピッタリ同じには弾けないのです。

 翌年にはゴダイゴ再結成ツアーを控えていたので、リハビリのためにあえて左手を多く使う曲を練習しました。「不安」というよりも、「一生懸命」だったような気がします。

 ツアー中はつらかったです。左手の動きが悪いことは自分が一番よく分かりますからね。でも、ステージに立つと不思議なもので、思ったよりも弾けたんです(笑い)。

 あれから20年がたち、左手の動きの遅さに苛立つような時期は越えました。10年ぐらいは憂鬱でしたけれど、それを越えたら、この左手でできる演奏を創意工夫することが楽しくなってきたんです。作風も変わりました。昔は正確性や速弾きに力を入れていましたが、今はスローハンド。味がある演奏っていうのかな。和音の構成を変えたり、右手の可動域を広げてカバーしたり、考え得ることはやり尽くした気がしています。

 思えば、米国のバークリー音楽大学にいた頃も、そんなことの連続でした。自分は周りに比べて手が小さいので、指の短さをカバーするために和音を変えたりしていました。そうした経験が脳梗塞の後遺症をカバーすることにも生きている気がします。今までの演奏とは違うけれど、それに劣らぬようカバーするテクニックがまた素晴らしいの(笑い)。

 後遺症は少なかったとはいえ、手以外の左半身にも薄く残っています。たとえば、いつもは感じなくても、頭にきて怒ると顔が歪むのが分かります。唇が左側だけ落ちて、目も左右で違っている感覚がするのです。

 でも、病気とは愉快に付き合っています。食生活は20年前から塩分、糖分、カロリーを抑えた糖尿病食なので、外食ができないステイホームの今も、普通の人より耐えられていると思っています。ストレスが一番いけないから、甘いものも適度に食べていますしね。

 一番大事なのは、「自分が元気か、元気じゃないか」です。いくら薬を飲んで数値が良くても元気じゃなきゃ。そのためには、ポジティブマインドでいること。人にはノーテンキと言われるかもしれないけれど、すべてをいいように受け取る。「BE POSITIVE!」ですよ。

(聞き手=松永詠美子)

▽ミッキー吉野(みっきー・よしの)1951年、神奈川県生まれ。17歳でグループサウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」に加入。その後、渡米してバークリー音楽大学に留学。76年にバンド「ゴダイゴ」を結成し、数々のヒットを飛ばす。85年に活動停止したが、再結成され現在も活動中。映画やアニメの音楽も手掛ける。

 現在「ミッキー吉野“ラッキー70祭”【Koki】」が開催中。世代を超えたフィーチャリングアーティストとの楽曲を次々配信。9月1日からEXILE SHOKICHIとの第2弾配信スタート。

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