独白 愉快な“病人”たち

森永卓郎さんは糖尿病を克服 12年前は「足が象の脚のようにパンパンに腫れて…」

森永卓郎さん
森永卓郎さん(提供写真)
森永卓郎さん(64歳/経済アナリスト・獨協大学教授)=糖尿病

「60歳を生きて迎える森永さんを想像できない」

 そう医者に言われたのは2010年のことです。当時53歳。仕事は多忙を極めていました。

 2000年に「ニュースステーション」(テレビ朝日系)のコメンテーターになったことを皮切りに忙しくなり、著書「年収300万円時代を生き抜く経済学」がヒットし、メディアや講演の仕事が劇的に増えました。ピーク時にはテレビ、ラジオのレギュラーが13本、月の連載37本、講演会も月10本ほどありました。毎朝5時から8時半までのラジオの生放送もあったので、必然的に睡眠は2時間ぐらいでした。

 そういう暮らしをしていると、食べていないと起きていられません。起きた瞬間から食べて、甘い炭酸飲料を飲む。1日に6~7食も食べるので、とてつもないカロリー摂取量です。おまけに運動するヒマもない。

 その矛盾が一気に噴き出したのが09年の暮れでした。

 右脚がかゆくなってボリボリかいていたら、しばらくしてその脚が象の脚のようにパンパンに腫れたのです。歩けなくなってしまったので夜中に病院に行ったら、「雑菌で化膿している」と言われ、抗生物質を打たれました。さらに医者から「普通ならこんなに化膿しない。免疫力が落ちているかもしれない」と指摘され、糖尿病の検査をするように指導を受けました。でも、当時の私はギチギチに仕事を入れていたので時間がなかなかとれません。

 奇跡的だったのが、近所にオープンしたてのクリニックがあったこと。今では予約でいっぱいですが、当時はガラガラで、院長が私のメチャクチャなスケジュールの隙間に合わせて診察してくれたのです。

 そのときのHbA1c(血中ヘモグロビン濃度)は11.4%でした。一般に7%で要治療、8%以上は障害が出るレベルなので、これはとんでもない数値です。眼底検査をしたらかなり出血していて、「あすにでも失明しますよ」と告げられました。「60歳を生きて迎えることが想像できない」と言われたのはその時です。「やばいな」と思いました。

 何種類もの薬とGLP-1受容体作動薬(インスリンの分泌を促す薬)をお腹に注射する治療を始めるとHbA1cは9%まで下がりました。でもそれ以上は改善せず、横ばいが続きました。

■テレビ番組のトレーニング企画が転機に

 転機になったのは、15年のTBSテレビ系「オールスター感謝祭」でした。番組内の企画でライザップのCM出演権を懸けたコンテストがあり、「勝ち残ったら賞金500万円」というので、賞金目当てでエントリーしたら、視聴者のリモコン投票で私がぶっちぎりの1位になったのです。

 ダイエットトレーニングを始めたのは、それから2カ月後でした。何しろ健康状態が悪かったので、まずは考え得る限りのありとあらゆる検査を受けることになりました。MRIはもちろん、体に負荷をかけたときの血中酸素の変化といった一流アスリートがするような検査までして徹底的に調べあげたのです。そして、私専用のプログラムを作り、医療チーム監視の下、トレーニングが始まりました。

 週2回のトレーニングと食事療法を2カ月半続けたことで体重は20キロ減り、ウエストは23センチ縮みました。同時にHbA1cも5.8%まで下がり、眼底出血もなくなりました。つまり、5年間治らなかった糖尿病が一気に治ったのです。私を診ていた医者たちがみんな驚いていました。完全に治っちゃう人は、あまりいないんですって。どうやら、膵臓が壊れていなかったのがよかったようです。

 いまも食事は糖質カットを続けています。急激に体重を落とすときは、ご飯、パン、麺、スイーツ、根菜類は100%カットでした。でも、全く摂取しないと脳の反応が悪くなるので現状維持の場合は普通の人の5分の1程度は取っています。

 振り返れば、ライザップの指導と医者から言われた「適度な運動と糖尿病食の内容」は、全く同じなんですよ。違うのはトレーナーと二人三脚かどうかだけ。今年9月で契約が切れたのでライザップを卒業しましたけど、ダイエットから6年間、一度も治療していませんし、薬も注射もありません。

 3年前から農業を始めたので、適度な運動も継続できています。多少、偏った筋肉のつき方にはなりますが、体形維持はしていますよ。もう6年続けているので食の管理は身についていますし、トレーニングにも詳しくなったと思っています。

 仕事はだいぶ減りました。コロナの影響で講演がなくなり、テレビ、ラジオのレギュラーは7本、連載も20本ぐらい。でも大学での講義もありますし、7年前につくった「私設博物館」の館長の仕事、農業もあるので、そこそこ忙しくしています。

 もしライザップのCM出演権を得られていなかったら、糖尿病の悪化どころか、きっと今ごろ生きていなかったでしょうね。人生は運です(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽森永卓郎(もりなが・たくろう) 1957年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本専売公社に入社。経済企画庁総合計画局(出向)、三和総合研究所、UFJ総合研究所などを経て、経済アナリストとしてテレビ出演を始める。2006年から獨協大学経済学部教授を務めている他、ミニカーなどのコレクターとしても知られ私設博物館を持っている。「年金は60歳からもらえ」「森永卓郎の『マイクロ農業』のすすめ」など著書多数。

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