独白 愉快な“病人”たち

元ソフトバンク攝津正さん白血病との闘いを語る「鼻血が5時間止まらなかったことも」

攝津正さん
攝津正さん(提供写真)
攝津正さん(元ソフトバンク投手・野球解説者)=慢性骨髄性白血病

 正式に病名を告げられた瞬間は、「死ぬのかな」と思いました。でも先生に「大丈夫です。今は治せる病気なので」と言われて落ち着きました。

 早期発見だったのと、いい薬ができていたことで、入院は必要ありませんでした。治療は抗がん剤の薬を1日1回飲んでいるだけです。

 異変を認識したのは、昨年12月ぐらいからです。冬なのにすごい寝汗をかいていることに気づきました。それも、下半身だけなのです。朝起きると上半身はまったく何でもないのにパジャマのズボンだけ湿っているので、「なんだろうな?」と思ったのが最初の症状でした。

 その頃あったもうひとつの症状は、血が止まらなくなったこと。はなをかんだ時に鼻血が出て、3時間も5時間もポタポタ出続けるケースが数回ありました。救急で病院に行って止血してもらったこともあって、かかりつけの耳鼻科で相談したんです。

 もともと鼻血が出やすい体質でしたが、「さすがにおかしいよね」となり、大きな病院で検査をすることになりました。そのときは僕もかかりつけ医も鼻の構造に問題があると思っていたので、当然、大きな病院の耳鼻科を受診したのです。

 ところが、そこでアレルギー検査を受けたら、医師が「あれ?」とつぶやいたあと、「もう一度、血液検査をしてください」と言ったのです。少し不安になって、「これは何かあるのかもしれないな」と半信半疑の状態で血液検査を受けました。すると、しばらくして今度は「血液内科へ行ってください」と告げられました。その瞬間、「ああ、これはもうやばいやつだな」と察しました。

 血液内科なんて普通の病気じゃ行かないところじゃないですか。

 その日のうちに血液内科の先生に対面すると、あっさり「たぶん白血病です」と言われました。 すでに年末だったので、「慢性骨髄性白血病」という結果を聞いたのは今年の年明けでした。ちょうど2人目の子供が生まれる直前でしたし、上の子供も4歳になったばかりだったので、病名を聞いたときは怖いというよりも「どうしようかな」と家族のことを考えました。

 そのあと、「今は治せる病気ですから大丈夫」と聞いて若干落ち着いたものの、白血病は白血病ですからね……妻ともいろいろ話しました。

 彼女は臨月でしたし、コロナ禍だったので、最初はひとりで結果を聞いたのですが、病名を知って妻に電話をしたら、泣きながら駆けつけてきてくれました。あとから聞いた話では、そのときすでに「万が一のときは、ひとりで子供たちを育てなきゃ」という心構えはしていたようです。

 治療は薬を飲むだけですが、“強い薬”なので肝臓に負担がかかるのが唯一の注意点です。数週間ごとに肝臓の数値を見て薬の量を変えたり、効果が出ているかどうかを調べたりして、肝臓の数値が悪くなると内科へ行って、調べて正常値になったらまた薬を飲む……という感じです。

 それから半年に1回、骨髄検査があります。腰のあたりに針を刺して骨から骨髄を採取するのですが、これが痛いんですよね。でも、つらいのはそれくらいです。

■「万が一」という言葉が身近になった

 白血病に関しては、薬によって寝汗もかかなくなりましたし、鼻血も出なくなりました。血が止まらなかったのは、やはり白血病の影響だったようです。でも、そもそも血管が傷つきやすい骨の形をしていたみたいで、じつは数カ月前に鼻の手術をしました。鼻血の原因となる骨を削って、真っすぐにしたことで鼻血はほとんどなくなりました。

 今は特に何の問題もなく普通に生活できています。がんは、ほんのまれに細胞が変化することがあるそうですが、変化せず今の安定が続けば、ずっと同じ薬で大丈夫だそうです。

 そして何年か経過してずっと数値が良ければ、薬を一度やめてみる場面がきて、さらにその後も数値が良ければ完治になると聞きました。その可能性に向かって日々を過ごしています。

「万が一」という言葉が病気をしてから身近になりました。病気に限らず万が一の可能性はいろいろあります。だから「一日一日を大切に生きよう。何でも楽しんで、家族と悔いのないように過ごしたい」と思うようになりました。

 そして、白血病をもっと多くの人に知ってもらいたいという思いから病気を公表しました。僕は薬で安定していますが、白血病にも種類があって、今まさに苦しい治療をしている人や骨髄移植を必要としている人がたくさんいます。

 僕も以前は何も知りませんでした。なので、少しでも多くの人に白血病のことや骨髄バンクのことを知ってもらって、ドナー登録者が増えてくれたらいいなと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽攝津正(せっつ・ただし)1982年、秋田県生まれ。JR東日本の東北硬式野球部から2008年のドラフト5位で福岡ソフトバンクホークスに入団。主に中継ぎ投手として活躍したあと先発に転向し、12年には17勝を挙げて沢村賞を受賞。13年にはWBC日本代表にも選出された。19年に現役引退後、野球解説者のほか、RKBラジオで「摂津正のつりごはん」というレギュラー番組を持つ。今年YouTubeチャンネル「攝津SETTSU#50」を開設。

本コラム待望の書籍化!「愉快な病人たち」(講談社 税込み1540円)11月30日発売。

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