がんと向き合い生きていく

来年へ向けてオミクロン株に対する備えは大丈夫なのか

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 令和3年、私が楽しかったことは、この12月で2歳になったたったひとりの孫(男の子)に動画で会えること、そしてメジャーリーグで二刀流を成功させた大谷翔平の活躍くらいだったように思います。

 コロナ禍で、なかなか明るい気持ちになれない一年でした。GoToトラベルが中止となっても、新型コロナウイルスの感染は昨年暮れから1月には大きな波となり、たくさんの犠牲者が出ました。さらに4波、5波と大きくなり、まん延防止措置、緊急事態宣言が長く続きました。

 PCR検査数はわずかしか増えず、総理は「国民の安心安全」という言葉を繰り返しました。多くの国民が中止を希望し、コロナ対策分科会の会長である尾身茂さんは総理の隣に立って「普通はやらない」と言ったオリンピック・パラリンピックが、ほぼ無観客で行われました。三波春夫の「東京五輪音頭」が国中に響き渡り、心躍ったあのオリンピックは1964年の10月でした。

 今回は、夏の開催ということもあってか夜間の競技が多かった上、選手や大会関係者には申し訳ないのですが、むしろ気になったのは毎日のPCR陽性者数や死者数の発表でした。

 コロナ感染者が多く入院した病院の医師に聞いてみると、その大変さは想像を絶するもので、オリパラどころではありませんでした。がんとは違って、昨日まで元気だった、死ぬはずのない人が死ぬ。精神的なダメージなのか、すっかり気力をなくして辞めていく医師や看護師……。それでもコロナ患者がどんどん運ばれてくる中で、彼らが抜けた穴をカバーするのは尋常ではなかったようでした。

 その病院の看護師長は「コロナでは看護らしい看護はしてあげられなかった」と話され、病院幹部は「スタッフのメンタルダメージが大きい。患者以外に、職員のメンタルを診てくれる専門の心理士が欲しい」と口にされていました。私は、患者に何もしてあげられず、亡くなるのをみとるのはとてもつらいことだと思いました。さらに、少なくとも医師であり国会議員である方たちは一度、防護服を着てコロナ病棟に入ってみるべきだと思いました。

■社会の矛盾には黙っていてはいけない

 陽性者数が増えて、重症者を除いて自宅療養が基本となったのですが、家族内感染を防ぐのは難しい。それもあって、自宅あるいは病院外で亡くなって見つかる方が増えました。命が軽くなっているのではないか、そう感じました。

 私は、迷惑も顧みず役所の幹部と某議員に「自宅療養ではなく、オリンピック後の大規模な施設を利用し、そこに医師と看護師に常駐してもらい、なんとかして感染者と死者を少なく出来ないだろうか」と提案してみました。2人は話だけは聞いてくれました。

 秋になって、不思議に感染者数は減りましたが、オミクロン株が出てきて不気味です。備えは大丈夫なのでしょうか? 勝手にイライラしていた私などよりも、その何百万倍も大変だった、つらかった方がたくさんおられます。医療者も、医療者でない方も、仕事を命懸けで頑張らなければならない、それでも職を失って生活が大変な方もおられます。ここ数年は微減となっていた自殺者数は、昨年から増加に転じ、特に女性が増えているのです。

 暮れになって、作家で尼僧だった瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。寂聴さんの法話集に「言いたいことを言った方が胸がすっとします。それが健康法の一つです」とあります。よく、「日本人は耐える、忍ぶ力にたけている」と言われますが、社会の矛盾には黙っていてはいけないのだと思いました。

 コロナ禍でがん検診者数が減り、特に早期がんの発見が減っているようです。今後、がんが進行してしまった形で見つかることが増えるのではないかと心配されています。来年は早めに検診を受けておきたいものです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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