上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

大掛かりな手術か低侵襲か…どちらかしかできない医師が増えている

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 前回、心臓の「肉腫」の手術についてお話ししました。悪性腫瘍である肉腫はいわば心臓にできるがんで、できる限り予後を良好にするためには心臓や血管にできた腫瘍を手術ですべて取り切ることが重要です。もしも取り残してしまうと、早期に再発・転移して生命予後が極めて悪くなってしまいます。

 腫瘍をすべて取り切る手術では、一部の血管はつなげたまま心臓全体を体外に取り出してから処置を行うというお話もしました。心筋の保護を行いながら、残す必要があるパーツだけの状態にして、腫瘍のある部位(血管や心房など)をすべて人工素材と交換し、心臓を“再建”するのです。大掛かりな場合でだいたい6時間くらいかかります。

 こうした肉腫の手術は、近年、増えてきた「低侵襲手術」では対応できません。低侵襲手術とは、簡単に言うと「体に負担の少ない手術」のことで、いまはさまざまな方法が登場しています。

 胸の真ん中の胸骨を切ることなく、できる限り小さく切開して手術を行う「MICS(ミックス)」や「MIDCAB(ミッドキャブ)」(低侵襲冠動脈バイパス手術)、内視鏡手術支援ロボット「ダヴィンチ」を使った僧帽弁閉鎖不全症に対する胸腔鏡下弁形成術をはじめ、循環器内科ではカテーテルを使って人工弁を留置する「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)が積極的に行われています。

 いずれも傷が小さく済んで負担が少なく、早い回復も見込めるため、これまでは手術が受けられなかった高齢者などハイリスクの患者さんも治療できるようになりました。医療の大きな進歩であるのは間違いありません。

 ただ、これまでお話ししてきた心臓腫瘍の手術や、癒着がひどい状態が多くみられる再手術などはある程度大きく切開して心臓全体をしっかりと把握し、初回手術に近い状態で手術を進めることで良い結果が得られると感じています。そうすることで最適な位置から手術が行われ、術後の心筋障害や不整脈などのダメージを最小限に抑えることができます。また、初回手術と同じように病巣をすべて取り除くことも容易になり、傷んだ弁や血管の修復も確実に行えて“リセット”された心臓を作り直せるのです。

 いまの低侵襲手術ではここまでの対応は困難で、複数の心臓内治療を同時に行うことのエビデンスは確立していません。

■患者が切り捨てられる可能性

 近年の心臓治療は、そうした大掛かりな外科手術と低侵襲手術が両極化してきている印象です。そのため、どちらかの手術はできても、もう一方はできない、といった偏った外科医がどんどんつくられている状況にあります。しかもその偏りは低侵襲化の方向で進んでいて、若手医師の多くは低侵襲化だけに意識が向いています。

 こうした現状を見ると、近い将来、低侵襲治療しかできない医師ばかりが増えてしまうことが予想されます。そうなれば、「低侵襲治療で対応できない心臓病は治療しない」という時代がやってくるでしょう。患者さんが救いを求めて医療機関を訪れても、「カテーテルや低侵襲手術ができない人は治療対象外です」と切り捨てられてしまうのです。

 そうした状況に合わせ、大掛かりな手術が必要になる前の段階で、低侵襲治療による介入をしてしまう流れが強くなることも考えられます。ただ、これは本来であれば治療の必要がない人への過剰治療が行われる危険があります。また、これまでなら大掛かりな手術が必要な患者さんに低侵襲治療を行い、有害な状況を残したまま治療を進めるケースが増える可能性もあります。低侵襲化への傾倒がこれからの医療の大きな落とし穴になるかもしれません。

 そうはいっても、こうした大きな流れは変わらないでしょう。過去の大きな戦争を振り返ってみると、時代が進むにつれて大口径の主砲を搭載した大戦艦が不要になってきます。性能が向上する航空機の戦力などに取って代わられるのです。さらに、レーダーや通信技術の進化により、場合によっては無人機やバーチャルな空間での交戦で終わったり、物理的な衝突はないまま外交や経済のやりとりだけで戦いの決着がつく時代になりました。

 外科手術も、いわば病気との闘いです。病気に勝つためのさまざまな手だてが模索され、技術の進化によって詳細な“設計図”が手に入るようになり、正真正銘の局地だけで闘って病気を治すという治療に変わってきているという印象です。

 いずれにせよ、これからの医療が患者さんにとって有益でしかない方向に進んでくれることを期待しています。

■本コラム書籍化第2弾「若さは心臓から築く」(講談社ビーシー)発売中

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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