病理解剖は解剖台のご遺体に一礼して始まります。がんの病巣を探り出し、最後はご遺体を縫って、一礼して終わります。この時、“宗教”が頭に浮かぶことはほとんどありません。「ご苦労さま」と話しかけると、ご遺体が「はい」と返事をしてくださっているような、そんな感じでおりました。
随分前のある時、わが家には神棚や仏壇がないことに気づき、小さな仏壇を購入しました。そして、ご先祖さまと先に亡くなった姪の写真を置きました。いつも、新たに炊いたご飯を供え、水を取り換え、ろうそくをともし、線香をたきます。その程度の私です。
人は、信仰がなくとも、いざとなれば「神様! 仏様!」と叫ぶのではないでしょうか。自分のこと、肉親のこと、知らない人のことでも、命に関わりそうな出来事に遭遇すると、そう叫びます。われわれは、それがあって生きていけるのではないか。そのようにも思うのです。たとえ特別な信仰心を持っていたとしても、横井さんは戦争が終わったことを知らずに過ごしたジャングルで、何回も「お母さん」と、あるいは肉親の名を、そして「神様! 仏様!」と叫ぶことがあったのではないかと思いました。
「宗教心」のことで、そんな勝手な想像をしました。横井さん、ごめんなさい。
がんと向き合い生きていく