独白 愉快な“病人”たち

三遊亭あら馬さん、あと半年の余命宣告を受け…肝臓移植から復帰までを語る

三遊亭あら馬さん
三遊亭あら馬さん(本人提供)
三遊亭あら馬さん(落語家/44歳)=先天性胆道閉鎖症・肝不全

 去年10月半ば、弟の肝臓の25%をもらって、生体肝移植手術をしました。そして、12月5日には無事に故郷の鹿児島での二つ目昇進のお祝い会を務めてまいりました。周囲には「無理するな」と言われましたし、自分でも賭けでしたが、あの目標がつらい治療の支えになりました。

「胆道閉鎖症」という病気を持って生まれ、「18歳までしか生きられない」と言われていたので、物心ついた時から頭の中には常に「太く楽しく生きよう」という思いがありました。だから、ずうずうしいくらいやりたいことをやってきたのです。

 なので、昨年2月に「あと半年」と余命宣告を受け、「助かる道は肝臓移植しかない」と言われたときは「43歳まで生きたし、もうこれで終わりでいいか」と思っていました。

 でも、半年たった8月になっても死んでいないし、5月に二つ目に昇進したことで思いの外たくさんの人から励ましの声があり、師匠方からも「あら馬、生きろ!」と言っていただいた。それで「こんなに応援してくれる人がたくさんいるならやっぱり生きなきゃダメだ」と思ったのです。

 生後20日で胆のうを取って腸とつなげる空腸縫合手術をして以来、胆管炎を起こすことがたびたびあり、そのたびに絶食1週間の入院を繰り返しました。

 でもそれ以外の日常生活に支障はなく、むしろ活発でかなり元気な子供でした。口より先に手が出るようなスパルタ九州男児の父親に“長男”として育てられたので、ケンカも強くて友達には「女子プロレスラー」と言われていたんです。

 大学生になると、お酒を飲むようになって試験中に入院して留年しそうになったり、大学院試験も入院してしまい断念。その後、売れない役者時代を経て、結婚、出産、子育ても経験。その間も胆管炎を繰り返し、胆石を取る手術を何度もしました。

 次第に手術をしても炎症の数値が下がらなくなり、胆管細胞がんの疑いで2015年には開腹手術で肝臓の3分の1を切除しました。幸い壊死していただけで、がんではなかったのですが、年々肝臓の働きが悪くなり、2020年には白目の部分や肌が黄色くなる完全黄疸になりました。約1年間、胆汁を体の外に出す経皮経胆管ドレナージをぶら下げて仕事を続けた末、2021年に例の余命宣告を受けたのです。

 当時のビリルビン値(肝機能の指標)は最大で37(㎎/デシリットル)。「死人と一緒」とか「意識障害を起こすレベル」と言われました。でも、私はなぜか頭はクリアで落語に支障はなく、肝臓移植の入院前日まで高座に上がっていました。

■手術後はほぼ全裸で過ごした

 移植までの道のりは決して簡単ではなかったのですが、移植でつらかったことをひとつ挙げるとすると「水攻め」です。弟からもらった25%の肝臓を体の中で培養しなければいけなくて、数値が安定するまで1日12リットルの水分を取る必要があり、点滴で容赦なく入れられました。

 また、口からも3~4リットル飲まなければならず、妊婦さんなら4つ子以上のお腹の張り……とにかく苦しくて拷問のようでした。でも、体が吸収するのは口から飲んだものだけだそうで、肝臓を早く大きくするためには必要なことでした。

 それだけ大量に水分が入るものですから、出す方も大量で常にお尻丸出しで寝ていました。イケメンの先生もいるので恥ずかしかったですね。検査も多いのでパジャマを着ていることも少なくて、術後はほぼ全裸だった印象です。

 そんな入院生活でも、うれしくて号泣したのはSNSに大量の書き込みを見たときでした。コロナ禍で面会はゼロでしたが、唯一、肝臓提供者である弟が近くの病室にいました。術後10日目ぐらいで彼が退院するとき、預かってもらっていた私のスマホを病室に置いていってくれたのです。10日ぶりにブログを開いたら、そこに応援の声がダーーーッと。痛いし、つらいし、むくんで体は最悪でしたけど、「一人じゃない、頑張らねば」と思いました。

 そこからは、猛然とリハビリに励みました。主治医いわく「立つことと食べることが回復を早める」とのことだったので、常に動いて食べることを心がけました。人は立っている姿勢が正常で、寝ていると内臓が復活し難いそうです。

 11月中旬に退院し、意地で回復して12月5日の鹿児島でのお祝い会を終え、徐々に仕事復帰しております。

 検診はやっと1カ月に1回になりました。薬も少し減って、今は免疫抑制剤と肝臓を強くする薬、胃薬、胆汁を出す薬を飲んでいます。中でも免疫抑制剤は1日2回、12時間おきに必ず服用し、一生飲み続けなければいけないと言われています。

 肝臓が落ち着くのは5月ぐらいまでかかるそうなので、現在は息苦しかったり心臓がキューッとなることがあります。手が震える副作用もあって、落語中の所作に出るときがありますね。お酒は今は完全禁酒。お菓子に使われている微量の洋酒にもビビって手を出しません。でも、夏にはちょっと飲めたらいいなと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽三遊亭あら馬(さんゆうてい・あらま)
1977年、鹿児島県生まれ。学生時代からタレントとして地元で活動し、鹿児島大学卒業後、上京してフリーアナウンサーや役者として活動。6年間の社会人落語家を経て、2017年、三遊亭とん馬に入門し正式に落語家へ。2021年5月に二つ目昇進。既婚。2児の母でもある。

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