最期は自宅で迎えたい 知っておきたいこと

40代でがん転移 小さな子供を2人残し…「幸せだった」が最期の言葉

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 私たちが訪問診療をしている患者さんは、高齢の方ばかりとは限りません。比較的若い現役世代の患者さんもいます。患者さんの事情も、先天性疾患で生まれつきの方から、10~30代の若年の時期に発症された方などさまざまです。

 そしてそんな現役世代の患者さんには、小さなお子さんを抱えている方も少なくありません。2015年から地域のがん拠点病院にかかっていた患者さんも、まさにそのひとりでした。

 彼女は、お2人の小さなお子さんを育てるシングルマザー。40歳の時、その拠点病院で、子宮頚部異形成(がんではないが、経過観察が必要な状態)を指摘され、3カ月おきに通院して、様子を見ていました。

 ところがその数年後、不正出血が認められ、MRI(強い磁石と電磁波を使い、体内の状態を断面像として描写する検査)で撮影したところ、すでに転移があるステージ4の子宮頚がんと診断されました。しかし手術をするつもりで、手術前の化学療法と放射線療法を施すと、なんと腫瘍が消失したのでした。

 安堵したのもつかの間、翌年には右脚の付け根に激痛を感じ、病院で検査。結果、右骨盤リンパ節から右尿管、そして周りの組織を巻き込んでの大きな再発病変が認められました。それからは徐々に患者さんの容体が悪化し、余命3~6カ月との宣告を受けるまでとなりました。

 その段階で仕事は辞め、福祉サービスに頼るようになるのですが、病気療養は何かと物入りなことばかりで、しかも小さなお子さんを抱えての生活ではなおさらです。40代なので介護保険は使えるのですが、子どものための食事の用意などは、本人の介護保険で賄えません。それでも母子3人で少しでも長く過ごしたいという患者さんの希望から、私たちの在宅医療がスタートしたのでした。

 まず私たちが取り組んだのは、強い痛みが少しでも和らぐように調整することでした。また、訪問看護さんやケアマネジャーさんたちのチームにお願いして、子どもたちの食事の用意や遊び相手になってもらうようにもしました。上のお兄ちゃんは8歳になったばかりで甘えたい盛りですが、具合の悪いお母さんを前に途方に暮れるばかり。そしてお母さんはそんな我が子を力なく抱きしめるしかできませんでした。

 やがて病状が悪化したためご実家近くにアパートを借り、患者さんのお母さんと同居を始め、在宅医療を開始して半年後となるある日、家族とスタッフに見守られる中、旅立っていきました。

 最期に患者さんが残された「幸せだった。ありがとう」の言葉はいまも私たちの心に強く残っています。

下山祐人

下山祐人

2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。

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