上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

犬に多い僧帽弁閉鎖不全症の外科手術ができるようになった

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 前回、心臓疾患が見つかった神戸市立王子動物園のジャイアントパンダ「タンタン」(26歳・メス)の治療についてお話ししました。パンダに限らず、馬や牛などの大型哺乳類は心房細動を発症しやすい傾向があり、そこから心不全につながるケースも少なくありません。

 ペットとして家庭で飼育されている犬や猫でも心臓疾患は見られます。とりわけ、チワワやマルチーズなどの小型犬に多いのが「僧帽弁閉鎖不全症」です。心臓の左心房と左心室の間にある僧帽弁がうまく閉じなくなってしまう疾患で、本来は左心房から左心室に流れるはずの血液が逆流して左心室に負担がかかり、慢性心不全につながります。

 犬の場合、なぜ僧帽弁閉鎖不全症を発症しやすいのかについて詳しい理由はわかっていません。人間でもリスク因子になる加齢に加え、品種改良などによる遺伝的な要因も関係していると考えられています。僧帽弁閉鎖不全症になると疲れやすくなり、あまり動きたがらなくなったり、すぐに息切れするなどの症状が表れます。病状が進行すると、心不全から肺に水がたまる肺水腫を起こし、呼吸困難から死に至る恐れがあるので、早めの治療が必要です。

 われわれ人間の治療は、自覚症状がない軽度・中等度では、血管拡張薬などによる薬物治療で経過を観察します。血液の逆流がひどく心機能の低下が見られる場合は、外科手術が検討されます。悪くなった弁を交換する弁置換術や、自身の弁を修復する弁形成術を行います。

 近年は、カテーテルを使った「マイトラクリップ」という治療法も登場しています。先端にクリップの付いたカテーテルを下肢などから挿入して僧帽弁に到達させ、うまく閉じなくなっている2枚の弁の両端をクリップで留める治療法です。

 犬の僧帽弁閉鎖不全症でも、人間と同じような治療が行われています。まずは心臓の負担を軽減させるために血管拡張薬などを使用したり、不整脈を改善する薬や心臓の動きを助ける強心薬が使われるケースもあります。ただ、人間と同様に薬物治療は症状を緩和するためのもので、悪くなった心臓そのものを治すことはできません。そのためか、犬に僧帽弁閉鎖不全症の症状が表れてから投薬を開始した場合、半年後の生存率は約50%という報告があります。

■人間の場合と同じ機材やスタッフが必要

 そこで近年、これも人間と同じように、外科手術で自身の弁を修復する弁形成術が行われるようになっています。順天堂大学医学部にかつて所属していた獣医師の資格を持つ大学院生も、犬の僧帽弁閉鎖不全症に対する外科手術を積極的に行っています。

 犬は人間と比べると体格も臓器も小さいため、かつては手術は難しいと考えられていました。しかし、獣医学や技術の進歩によって、小型犬でも手術が可能になってきたのです。ただ、犬用サイズの人工弁は存在しないため、弁を交換する弁置換術は現状では難しいようです。

 弁形成術では、人間と同じく「人工心肺」が必要です。体外で心臓と肺の“代役”を務める装置です。この人工心肺につないでいったん心臓を止め、悪くなった弁を針と糸を使って修復し、機能を回復させます。人工心肺をつないで心臓を止めている時間が長くなってしまうと、それだけ体に負担がかかり、回復するまでの時間が長くなってしまうのは、人間も犬も同様です。そのため、できる限り早く正確に手術を進める必要があります。

 ですから、犬の手術でもチーム医療が重要で、執刀医のほかに、助手、麻酔医、看護師、人工心肺を管理する技師など、5~8人のチームで手術に臨みます。手術では、血圧や出血量などをしっかりモニターしながら適切な管理を行わなければなりませんし、犬用の輸血も準備しておく必要があります。

 こうした進歩に合わせ、僧帽弁閉鎖不全症に対する外科手術は10年ほど前は死亡率が40~50%だったものが、最近は手術数が多い獣医院では10%程度まで改善されているようです。ただし、犬の心臓手術を行える獣医師はまだそれほど多くはなく、実施できる施設も限られるのが現状です。また、手術費用も150万~200万円ほどかかります。

 いまは、ペットは家族の一員だという人も多いでしょう。われわれ人間と同じように、さらに医療が進化して少しでも健康に長生きできるような環境の整備が期待されます。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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