上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

米国ではブタの心臓を人間に 「異種移植」は長く研究が続けられている

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 今年1月に米国でブタの心臓を移植した57歳の男性が、2カ月後に亡くなったというニュースが報じられました。

 その男性は“末期の心臓疾患”でしたが、人間の心臓移植は不適格と判断され、常に人工心肺装置を装着した状態でした。他に治療の選択肢がなく、すぐに移植を受けなければ命の危険があったため、米食品医薬品局(FDA)が現時点では研究段階のブタの心臓移植を緊急承認し、メリーランド大学医療センターで移植手術が行われたのです。

 移植に使われたブタの心臓は、人体で拒否反応が起こらないように遺伝子操作でつくられたものです。まず遺伝子を追加・削除したブタの細胞から「ブタ胚」を生成し、管理された環境でブタの飼育を行って成長させた後、ブタから臓器を取り出して移植するという手順だったとのことです。

 移植手術を受けた後、容体は良好で自力でも呼吸できるようになったそうですが、3月初旬に容体が悪化してそのまま息を引き取りました。術後1カ月の時点では拒絶反応の兆候は見られないとされていたのですが、その後どのような経過をたどって、死因はなんだったのかについてはまだ明らかにされていません。

 残念ながら命を救うまでには至りませんでしたが、世界初となる人間に対する心臓の「異種移植」が実施された事実は、医学的に大きな意義があったといえるでしょう。

 以前から、治療のために人間以外の動物の臓器を使う異種移植の研究は、長年にわたって続けられています。中でもブタの心臓は大きさや構造が人間の心臓と非常に似通っているため、食肉にされる部分外であるブタの心臓を解体業者から購入し、手術の事前訓練用に「ウエットラボ」という呼称で以前から使われてきました。

 ブタは哺乳類ですから、人間と同じく心房と心室がそれぞれ左右に分かれている4つの部屋で構成されているのはもちろん、大動脈などの血管が出ている位置をはじめ、心臓をつくっている各パーツのあり方とサイズが似ているのです。たとえば心臓弁膜症の患者さんに対する弁置換術では、以前からブタの心臓弁を用いてつくられた生体弁が広く使われています。

 近年は動物愛護の観点から、動物実験用に生きたブタに麻酔をして模擬手術を行った後に犠牲死させるといったことは避けられるようになりましたが、食肉用に解体された後の臓器を医学的に転用することは許容されているのです。

■移植用の臓器は大幅に不足している

 先ほどもお話ししましたが、今回の移植手術で使われたブタの心臓は、遺伝子操作した細胞をベースにして育成されたブタから取り出されたものなので、最初から異種移植の研究用としてつくられたということになります。

 遺伝子操作を活用した研究は、われわれ順天堂大学でも行われています。たとえば、遺伝子の一部を組み換えることで、研究の対象としている疾患を発病するマウスは飼育法も単純なので作成は可能です。そうした遺伝子操作の手法の進歩によって、疾患を発病するモデルとは反対に、拒絶反応を起こさないようにする「免疫寛容」という体質を持ったブタの作成も可能になったのです。しかし同時に感染症にも弱くなるため、マウスよりも相当長い発育期間が必要で、さらにその間の飼育法や感染対策に高度な管理が求められるのは言うまでもありません。

 また、遺伝子操作を行った生体の臓器とはいえ、人間の体にとっては“異物”ですから、拒絶反応を完全にゼロにすることはできません。ですから、遺伝子のどの部分を組み換えれば、人間の体内で拒絶反応を起こしにくくなり、免疫抑制剤を使えば管理できるようになるのか……そのレベルに達するまで研究を重ねて試行錯誤を繰り返し、ようやく受容できる範囲の臓器をつくることが可能になったと考えられます。

 今回は残念ながら患者さんを救うことはできませんでしたが、これからも異種移植の研究はさらに続き、進歩していくのは間違いありません。というのも、現状では人間と人間=同種間での移植用の臓器が大幅に不足しているからです。

 日本では、臓器の移植を希望して待機している患者さんが約1万5000人いるといわれています。対して、実際に移植を受けられた人は年間およそ400人ですから、まったく足りていない状況です。また、米国では移植希望で待機中の人は10万人に上るといわれ、臓器の提供を待ちながら1日平均17人が死亡しているという報告もあります。

 異種移植はこうした現状を打破する可能性を秘めているといえます。次回、あらためて詳しくお話しします。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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