最期は自宅で迎えたい 知っておきたいこと

「子供を入院させられない」母親がそう言わざるを得なかったのは…

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 医師としてスタートを切ったばかりの頃、私はあらゆる患者さんにおいて、病院に入院して治療することが最良であり、一番安心できることと信じていました。よって私たちは素晴らしい医療をしているという思い込みがありました。

 それが経験を重ねるにつれ、入院すること自体が困難な患者さんが思いのほか、たくさんいることを知るのです。

 今回は、私が在宅医療の可能性に目を向けるきっかけとなった患者さんとご家族のお話をしたいと思います。

 それは、私の知人で看護師の女性でした。ある日、彼女の3歳の息子さんが深い熱傷(やけど)を負い、私が勤務していた病院へ救急搬送されてきました。お母さんが夕飯の準備でちょっと目を離したすきに、出来上がったばかりの味噌汁の鍋を子供が倒してしまい、熱々の味噌汁をもろにかぶってしまったのでした。やけどの範囲は首から肩にかけてで、かなり広範囲にわたっていました。

 ただ、幸いにも全身状態に問題はありませんでした。私はお母さんに、「入院しながら2種類の軟膏を使って傷を清潔に保ち、毎日ガーゼ交換をしましょう」という治療方針を提案したのですが、彼女は「入院はできない」と言います。

「それでは毎日、皮膚科外来に通うのではどうでしょう?」と代替案を出したところ、それにも首を横に振ります。聞くと、家にもうひとり病人がいるとのこと。大学病院に通院し3時間待って10分の処置を受ける。往復の時間を入れると、トータル5時間。大事な子供のためとはいえ、病人の看護もあり、そんなにも長時間家を空けるわけにはいかなかったからでした。

「自宅に往診してもらい、息子の傷と全身状態について助言してもらう方法でお願いできないでしょうか?」

 お母さんから切り出されたのは、こんなアイデアでした。看護師である彼女だから思いついた苦肉の策。一般の方でしたら、こんなアイデアは浮かばなかったはずです。

 結果そうすることで、彼女は自宅を空けることなく、息子の傷の処置ができ、通院もしなくてよくなりました。3週間ほどで傷はきれいに治り、彼女の息子さんはいまでは元気いっぱい保育園に通っています。

 往診によって不便な通院をすることなく、他の家族を守りながら息子の処置ができた。彼女は時間を有効に使うことができました。

 この経験以降、「患者さんの病気を治療さえできれば、あとの生活が犠牲になっても仕方がない」といったこれまでの私の考えが百八十度転換。未経験ながらも、「在宅医療の果たす役割はとても大きいのでは」という気持ちを強めていったのです。

 新しい在宅医療の力で、理不尽な環境を迫られてしまうときも、そのことをできるだけ回避することができます。患者さんやご家族のQOL(生活の質)は確実に向上するのです。

 そんな患者さんやご家族の事情に寄り添う在宅医療の可能性は今後もますます求められると考えています。

下山祐人

下山祐人

2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。

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