独白 愉快な“病人”たち

くも膜下出血で3カ月間意識不明…T-BOLAN上野博文さん復活までの闘い

T-BORANの上野博文さん(C)日刊ゲンダイ
上野博文さん(T-BOLANベーシスト/56歳)=くも膜下出血

 主治医の話では、自分が発見されたのは倒れてから5日後だったようです。そのときの記憶はありません。覚えているのは、新バンド(T-BOLAN休止中に活動したバンド)のリハーサルがあって、「じゃ、また来週」と言ってメンバーと別れたところまでです。気づいたら、ライトが明るい天井が見えました。約3カ月間、意識不明だったそうです。

 くも膜下出血に襲われたのは2015年3月でした。約束していたリハーサルの場に現れず、電話にも出ないことを不審に思ったバンドのメンバーが当時のマネジャーに連絡し、マンションのオーナーの方と一緒に部屋のドアを開けたところ、玄関で倒れている自分を発見し、救急車を呼んでくれました。そのときは自分の名前は言えたようです。

 でも病院に運ばれ、脳出血を止める処置をした後は、麻酔から目が覚めないまま2カ月半、ICU(集中治療室)に入っていました。家族の話では、家の中はめちゃくちゃに荒れていたそうです。痛みで暴れたのか、何か大きな音を出して助けを求めたのかもしれません。

 病院に運ばれてすぐに足の付け根からカテーテルを入れて、出血している脳の血管をコイルで塞いだそうです。細い血管が複数切れていたので、今もCT画像を見ると頭の中にコイルがいっぱい写ります。

 その後も脳圧が高いままだったので、頭蓋骨を外してしばらく冷ましたそうです。脳圧が下がって自発呼吸ができるようになっても意識は戻らないまま。でも、ICUの滞在限度(2カ月半)が来て一般病棟に移りました。

 それから頭蓋骨を戻して約2週間たったころ、まず右手が動いて、徐々に足や首を動かすようになっていったそうです。

 ただ、家族は医師から「意識は戻っても目も見えず耳も聞こえない可能性があり、自力で食べられず、もちろん車イスでの生活になります」と告げられたといいます。もしそこで家族が「そうか……」と諦めていたら、今の自分はなかったかもしれません。

 家族は、意識がなくてまるで反応のない自分に常に何か話しかけ、耳元にはT-BOLANの音楽を流し続けたそうです。ときにはベースをお腹に乗せてくれたりもして……。早い時期からそうやって脳に刺激を与え続けてくれたことが、ここまで回復できたことにつながったのだと思います。

 それと、回復できた一番大きな要因は「俺は絶対にもう一度ステージに立つんだ!」という強い目標が自分の中にあったからです。

■1年9カ月後にステージで演奏

 意識がしっかり戻るとリハビリ専門病院に転院となり、6カ月間ひたすらスパルタ的なリハビリに耐えました。体が硬くなってしまったので、ストレッチがきつかったですね。できたり、できなくなったりの波はあるものの、自力で体を起こしたり、車イスで移動したり、つかまり歩きなど少しずつ回復に向かいました。

 ただ、回復期のリハビリ病院への入院は6カ月が限度と聞かされ、家族は次のリハビリ施設を探して奔走したみたいです。高次脳機能障害を負ってしまったので、言語療法、作業療法、理学療法など全部揃ったリハビリ施設が最適なのですが、自宅から通える範囲にそれがなかったので、大慌てで引っ越しまでして、自分のために最善を尽くしてくれました。

 自分はそのころ何を考えていたかというと、「ベースが弾きたい」ということ。でも、言葉にはできませんでした。

 その後、お箸を使ってご飯を食べられるくらいに回復したので、家族とT-BOLANのメンバーと一緒に食事会をしたのが2016年2月でした。そのとき「これから何がしたい?」と聞かれたので、「ライブ」と答えました。まだまだそんなことができる状態ではなかったのですが、その言葉を本気で受け止め、「やろう」と動いてくれたメンバーとスタッフのおかげで、なんとその年の年末、一夜限りの再結成をして自分が望んだライブができたのです。たった4曲でしたが、舞台に立って演奏しました。

 練習を始めた頃は指が思うように動かなくてつらかったですけど、我ながら頑張りました(笑)。

 じつは、右目は脳出血の影響で水晶体が濁って見えなくなって、手術したけれどその後も網膜剥離を繰り返し、もう4回も手術しました。足もまだしびれていて、歩行は少し不安定です。ひとりで気楽に出かけることはできません。でも、耳は健在ですし、話すこともずいぶんできるようになりました。自分の場合、リハビリ施設で覚えたマージャンが効果絶大だったみたいで、一気にいろいろなことが覚醒したと感じています。

 生活のすべてが変わりましたけれど、一番は食事でしょうか。昔は無頓着で辛い物が大好きなヘビースモーカーでした。でも今は血圧を上げないよう塩分控えめで野菜多め。不思議なことに、たばこは体が受け付けなくなりました。

 いろんな人に支えられて生きていることを痛感しています。「上野の生きる目標になるように」と、2017年からバンドが本格始動したのもそのひとつ。サポートベースを入れながら、ライブでの演奏曲数を徐々に増やしてきました。「全曲演奏する」のが今の目標です。一度死んだようなものなので、この二度目の命を大切に生きたいと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽上野博文(うえの・ひろふみ) 1965年、栃木県生まれ。91年にメジャーデビューした4人組ロックバンド「T-BOLAN」のベース担当。メンバーの喉の不調により99年に解散。2011年の再結成、14年の活動休止を経て、17年から本格的に活動を再開した。現在、28年ぶりのオリジナルアルバム「愛の爆弾~CHERISH~アインシュタインからの伝言~」を引っ提げて全国ツアー中。

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