がんと向き合い生きていく

いきなり週単位、月単位と言われても…胃がん患者の心の叫び

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 ある緩和病棟のベッドのそばにある床頭台の引き出しの中に、こんな書き置きがありました。

 ◇ ◇ ◇ ◇ 

 私は57歳の男性、胃がんです。一人では動けなくなって、病院の緩和病棟のベッドに入れてもらって10日目です。

 3年前、大学病院の外科で手術して、それから抗がん剤治療をしました。吐き気やだるいのを我慢して受けました。治療が終わった頃はがんの転移はありませんでした。そして担当医の言われる通りに、定期検査と胃ぐすりを飲んできました。1年前、肝臓に転移が見つかりました。CTで肝臓全体に、大きいのと、小さいのがばらばらとありました。その時はセカンドオピニオンを3カ所まわりました。肝動注療法、超音波を見ながら針で焼く治療、温熱療法、いずれもがんが肝臓全体にあるから無理だと言われました。

 どこも同じ答えで、今の担当医が言う抗がん剤の点滴治療を勧められました。それで抗がん剤治療を頑張ってきたけれど、この間、担当医から治療はもう無理だと言われました。

 2週間前から、急に足が重くなり、浮腫んで、指で押すとべっこりとへこんで戻りません。右のすねはぴかぴか光り、針で穴を開けたわけでもないのに、皮膚の上に水滴がのっています。

 肝機能と腎機能が悪く、お腹が膨らんできたのは腹水がたまってきたためだそうです。担当医から「黄疸を来たしています。緩和病棟に入りましょう」と言われました。

 動くのが辛くて、入院させてくれるならどこでもいいと思いました。でも、こんなに早く緩和病棟に入るとは思いませんでした。いまは横になっていれば落ち着いて、こうしておれます。

 死ぬのはもっと、もっと先かと思っていたので、何にも準備が出来ていません。準備と言っても、考えてみると何するわけでもありません。私は独り身で、その点、思い残すことも何もない気がしています。もし、あったとすれば、憧れていたヨーロッパ旅行ですが、今はコロナ禍で元気だったとしても行けません。会社は定年を待たずに退職しています。ですから仕事の申し送りもありません。私のマンションの部屋は散らかっていますが、弟が一人いますので、わずかな貯金も好きなようにしてくれると思っています。以前、一緒に旅行した友人がいますが、胃がんになってからは連絡していません。

 トイレが大変です。看護師さんを呼ばないと出来ないのです。

 医師の回診は、土日はなくて、待っていた月曜日の朝にありました。若い女性の医師でした。

「どうですか?」

「はい」

「お腹が張りますか?」「はい」

 思い切って、私は聞きました。

「先生、私、死にますか?」

「誰だっていつかは死にます」

「そうじゃなくって、私はあとどのくらいで死にますか?」

「あなたの場合は、黄疸の進み具合によると思います。週単位の方もおられますし、月単位の方もおられます。年単位とは言えないと思います」

 なんだか、この返答で医師はうまく逃げたなと思いました。

 ずっと働いてきて、何も悪いことはしていないし、理不尽のような気がします。こんな、いきなり週単位、月単位と言われても、何も出来やしない。入院していて、そんなこと言われても理不尽です。何か出来る状態なら、やりたいことをやって終われるけど、動けずにベッドにいて、週単位……そう言われても……でも、自分から聞いたのですからね。

 人生、思うようにはゆかないけども、最期になって、こんな姿になって、緩和病棟なのです。

 心の準備も出来ていない。いや、私には、どうなっていても心の準備なんて無理なんです。

 こんなこと書いても、誰も読んでくれないと思いますけど、お礼を言っておきます。

 ありがとう。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 がんと闘う患者の心はとても繊細で複雑です。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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