がんと向き合い生きていく

妻には言えても医師には言えない…がん患者の心中

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 73歳のKさん(男性・定年退職後)は胃がんの手術をしてから2年が経ちました。すでに再発予防のための抗がん剤治療は終わっていて、その後の経過を診てもらうために手術した病院へ3カ月ごとに通院しています。

 2カ月ほど前から、時々背部のあたりに痛みを感じる時があります。Kさんは痛みが出ると、すぐに「再発、転移ではないか」と心配してしまいます。そんな時、奥さんに「背中が痛い」「背中の奥が鈍く痛い」と訴えます。すると奥さんは「病院に行ったら? 次の診察はいつだった?」と心配そうにしてくれたり、「貼り薬でも貼ったらどう?」「今度はCT検査もあったよね」などと声をかけてくれます。

 そして今日、ようやく診察の日になりました。朝、いつもより早く6時に起きて準備をします。背中の痛みは昨夜からありません。

 歩いて15分の最寄り駅は、相変わらずの人、人、人です。久しぶりに電車に乗りましたが、コロナが心配で、つり革にも掴まりたくないので立っていましたが、まわりの人との距離は十分に取れませんでした。

 病院に着くと、予定されている診察の1時間前には採血とCT検査が終わりました。一息ついて、診察室前の待合のイスに座って待ちました。ここも混み合っています。

 壁に設置されたテレビでは、ある病院でコロナのクラスターが発生したというニュースが流れていました。感染しても無症状の人が多いといわれているので、待っているまわりの患者たちにも安心はできません。

 テレビに飽きると、スマホに保存してある2歳の孫の動画を見ます。正月から会えていませんが、また大きくなっていて、Kさんにとってこれが一番の希望の星です。

 診察予定時間から1時間過ぎても、なかなか呼び出されません。心の中は不安でいっぱいです。

「CT検査の結果が悪かったらどうしよう。あの背中の痛みはなんだったのだろうか? 入院と言われたらどうしよう。病室のベッドには入りたくないな。あの痛みがなんでもなければいいが……。もう早くここから逃げたい。とにかく病気から逃げたい。良い先生だけれど、先生からも逃げたい。病気は俺から離れてくれ! 嫌なんだ。もう、どうだっていいから逃げたい……。そばに座っている患者たちは次々と先に呼び出されていく……もう、検査の結果は出ているだろうに、呼び出されるのが遅いのは、結果が悪かったからじゃないか……」

 1時間半が過ぎて、Kさんはやっと呼び出され、診察室に入りました。

「ずいぶん待たせてしまってすみません」

「いえいえ、そんなことはありません」

「採血の結果は特に変わっていませんよ。CT検査も以前と変わらないと思います。このように画像を比べても同じです」

「はい。ありがとうございます」

「変わりはありませんか?」

「はい。大丈夫だと思います」

 Kさんはホッとして、いつもの薬を処方してもらって診察を終えました。

■「遠慮」の程度が違う

 自宅に帰ってくると奥さんが「大丈夫だった?」と聞いてきました。

「うん、採血もCTも大丈夫だって。良かった。安心した」

「あなた、先生に背中が痛かったことは言ったの?」

「いや」

「私には痛いって言うんだから、先生にそう言えばいいのに……先生にはなかなか言わないんだから。先生だって、言われなきゃ分からないでしょうに」

 Kさんは「うん」と答えただけでした。

 ある看護師が口にしていたことですが、患者は、家族、看護師、医師、それぞれに「言うことが違う」そうです。遠慮の程度が違っていて、奥さんには遠慮なく、看護師にはその中間で、医師には遠慮して伝えたいことをなかなか言わない場合があるといいます。

 Kさんにも、もちろん遠慮はあったでしょう。ただ、そればかりではなく、「検査の結果を怖がっていたから」という理由もあると思うのです。検査の結果を聞いて、がんの再発がないと分かり、もうそれだけでホッとした。そして、一刻も早く病院から離れたい、病気を忘れたい……その一心が、「背中の痛み」を言わせなかったのでしょう。

 がん患者の心中はいつも揺れ動いているのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事