独白 愉快な“病人”たち

キーボーディスト都啓一さん「濾胞性リンパ腫」克服までを語る

都啓一さん(C)日刊ゲンダイ
都啓一さん(キーボーディスト/50歳)=濾胞性リンパ腫

 治療を始める前、PET検査の画像に黒い部分がいっぱいあったので、医師に「これは何ですか?」と聞いたら、「全部がんです」と言われたんです。「え? スゴッ」と他人事のようなリアクションになってしまいました。

 悪性リンパ腫のひとつ「濾胞性リンパ腫」がわかったきっかけは、2010年、「SOPHIA 15周年ツアー」の前に、軽く健康診断に行ったことでした。仲のいい内科医に血液検査のついでに気になっていることを相談したのです。それは、脚の付け根にいつの間にかできていた親指大の硬いしこりについてでした。痛みはゼロです。気軽に相談できるこの医師がいなければ、重い症状が出るまで分からなかったかもしれません。

「念のために」と、すぐにエコー検査ができる病院を紹介されました。さらに、エコーを撮った翌日には電話をくれて、「何もなかったらなかったでいいから、とりあえず明日の朝、MRI検査に行ってください」と総合病院を紹介されました。

 言われるがまま午前中にMRIを撮り、午後にはツアーのリハーサルに行き、終わってスタジオを出ると、内科医から「至急来てくれ」という留守電が入っていたのです。病院に直行すると、「悪性リンパ腫の疑いがある」と告げられました。

 まず思ったのは、「ツアーをスタートできるのか?」と「治るのか?」の2つでした。それなりに動揺したものの、体調が普通だったのであまり実感が湧きません。それからリハーサルの合間にいくつも検査を受け、「濾胞性」だと確定した段階でツアー(3カ月間)を優先することに決めました。「濾胞性リンパ腫」は白血球の一種であるリンパ球ががん化する病気で、進行は遅いけれど治りにくく再発しやすいという特徴があります。

 検査はツアーが始まるギリギリまで続き、骨髄生検手術はツアー初日の前日でした。この生検手術は本当に痛かった。ストローみたいな太い針を腰の骨にねじ込んで、骨髄をえぐり取るんですからね。でも、医師から「5歳の子がやることもあるんだから」と言われたので頑張りました(笑)。初日ステージの裏には医師が待機している状態で、途中で傷口の消毒をしましたね。

 生検とPET検査を受けた結果、がんは全身に広がっていることがわかり、ステージ4でした。治療は半年間のR-CHOP療法になりました。いわゆる抗がん剤治療ですが、複数の薬の混合でこういう名前になっているようです。

 1日目に抗がん剤の点滴をした後、1週間ステロイド系(炎症抑制など)の錠剤を1日21錠も飲み、その後2週間休んだら1クール。全部で6クールやりました。1クールが終わったあたりで、ドバッと脱毛しました。アセロラジュースのような赤色の点滴が一番きつくて、それが体に入るとものすごい頭痛がしました。ゴハンの匂いだけで気分が悪くなるし、魚も野菜も果物も生ものは一切ダメ。免疫が極端に落ちるので、家族全員、風邪もひけない状況でした。

 だいぶ後で、体を壊した友人があのときと同じステロイド系の錠剤を飲んでいたのを見て話を聞いたら、医師から「どうしてもしんどかったら飲みなさい」と2錠渡されたそうです。心の中で「俺はあれを1日21錠も飲んでいたんだ……」と思って怖くなりました(笑)。

■「寛解」と言われた瞬間、妻と父親が号泣

 6クールが終わった後、PET検査をしたらがんが消えていて、晴れて「寛解です」と言われました。その瞬間、一緒に診察室にいた妻と私の父親が号泣。「俺やんな、主役は」と思いながらもホッとしました。

 その後、医師から再発を遅らせるために使う「リツキシマブ」という薬の注射を勧められました。R-CHOPの「R」の部分だけの注射です。でも、それは1本33万円という高額です。保険は利きません。2カ月に1本×2年が条件だったので、計約400万円かかります。私が躊躇していると、隣で妻が「はい、打ちます」と即答したので、思わず「えー?」とのけぞりました。

 でも、その注射をしたおかげで、12年たった今も再発していません。だいたい5年で再発すると言われているので、効果は出ていると思います。

 R-CHOP療法は薬の許容量の関係で二度と使えないので、再発すると別の治療をしなければならず、最終的には骨髄移植しかありません。少しでも再発を遅らせて、その間にどんどん新薬ができることを期待しています。

 すでに今は3種類ぐらいあるようです。再発しても次々と新薬を使ってしのいでいけば、そのうち寿命が来るかなって思っています。

 病院へは今でも2カ月に1回行って検査を受けています。今のところ心配な兆候はありません。

 病気をして改めて思ったのは、「失敗してもいいから後悔はしたくない」ということです。病後にレコーディングスタジオをつくったのもだいぶ冒険でした。

 でもあれから時間がたったので、そろそろ次の冒険がしたくなっています。 (聞き手=松永詠美子)

▽都啓一(みやこ・けいいち) 1971年、兵庫県生まれ。95年にロックバンド「SOPHIA」のキーボーディストとしてメジャーデビュー。作曲家、音楽プロデューサーとしてソロ活動をするほか、バンド「Rayflower」としても活躍している。2022年10月11日には「SOPHIALIVE2022“SOPHIA”」を日本武道館で開催する。

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