がんと向き合い生きていく

脳梗塞による左麻痺が起こった原因は隠れた膵臓がんだった

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Bさん(58歳・男性)は、昨年の会社の健診で肝機能異常を指摘されたのですが、病院を受診していませんでした。以前、脂肪肝と言われたこともあり、きっとそのせいだろうと思っていたことに加え、コロナの流行が下火になってから受診したいと考えていました。また、1カ月前から食欲がなく、だるさを感じていたことも、暑さのためと思っていました。

 その日も暑い一日でした。営業の仕事で、午後になって車を運転し、5件の顧客を回りました。夕方、とても疲れた感じがしたので会社には戻らず、自宅に直接帰りました。冷たいビールを楽しみに喉の渇きをガマンして、帰宅してすぐに風呂に入りました。

 異変は風呂から上がって体を拭いている時に起こりました。左手に力が入らず、バスタオルがつかめません。さらに左足も思うように動かないのです。Bさんは奥さんを呼んで着替えを手伝ってもらい、救急車をお願いしてF病院に搬送されました。

 医師による救急外来での診察後、すぐに頭部CT検査が行われ、「脳梗塞、左不全麻痺」と診断されてそのまま入院となりました。

 Bさんは点滴治療を受けながら、麻痺が良くなってくれることを祈りました。奥さんはコロナのこともあってか付き添いはできず、夜遅くに帰されました。翌朝になっても、なかなか手足の動きが良くなってきません。採血が行われ、点滴は続けられました。午前11時ごろ、担当医から「肝機能も良くないので、肺や体の方も調べましょう」と言われ、肺と腹部のCT検査も行われました。

 午後になって、看護師から「先生が説明したいと言っています。奥さんは来られていますか?」とたずねられました。その後、担当医がやって来て、「奥さんも一緒に説明しますが、よろしいですね。血液の凝固に異常があります。これはBさんの今日のCT画像ですが、膵臓がんがあります」と告げられました。

 Bさんは、一瞬、何かの間違いではないかと思いました。

「私は左半身が麻痺しているんだ。膵臓がん? いったいなんのことだ」

 担当医の説明では、大本に膵臓がんがあり、このがんの合併症で血液の凝固能が高進し、血が固まりやすくなったことで脳血管の血栓塞栓症が起こり、左不全麻痺を起こしたというのです。Bさんも奥さんも、ただ「よろしくお願いします」と言うほかありませんでした。

■トルソー症候群と呼ばれる

 後で、Bさんが担当医から教えてもらった話では、この病態は「トルソー症候群」と言うのだそうです。脳卒中による不全麻痺と膵臓がんの2つの病気が同時に起こったのではなく、膵臓がん(他に肺がん、大腸がん、胃がんなど)で血液凝固異常が生じ、不全麻痺を招いたのです。

 それから3日間、点滴治療が続きましたが、左の麻痺は変わりません。それでも、右手足を使って起き上がることはできました。また、おかゆの食事が始まったのですが、なんとなくむせる感じがあり、のみ込むのに時間がかかりました。

 Bさんの膵臓がんは、肝臓にも転移していました。そして担当医からこう告げられました。

「血液凝固異常を改善するには大本のがんをやっつける必要がありますが、今の病状では手術はできません。のみ込みがもう少し良くなったら抗がん剤治療を考えますが、それともご自宅に帰りますか? 余命は短いかもしれません」

 Bさんは、麻痺のリハビリをがんばって、生きていこうと覚悟していました。それが、短い命かもしれないと言われたのです。Bさんは愕然として、頭を下げたままじっとしていました。

 担当医が立ち去った後、奥さんからこう言葉をかけられました。

「短い命かもしれないって言われたけど、先のことはだれにも分からないのよ。お父さん! 負けないで。一緒にがんばろう。奇跡を起こそうよ」

 Bさんは「うん」とうなずきました。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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