独白 愉快な“病人”たち

元看護師ましゅーてぃーさん 骨肉腫の術後は痛みとの闘い「できればずっと眠っていたかった…」

ましゅーてぃーさん(本人提供)
ましゅーてぃーさん(元看護師)=骨肉腫

 国立がん研究センターで「骨肉腫の疑いがある」と告げられたのは2010年、正看護師になるための国家試験の2日前でした。それまで実感がわかなかったのに、その一言を聞いた途端、思わず号泣してしまいました。

 腫瘍の場所は右の骨盤。でも痛かったのは右の太ももや膝あたり。しかも症状は筋肉痛のような痛みだったので、何カ月も放置してしまいました。まさか骨盤だとは考えもせず、最初は近くの整形外科を受診して、右脚のレントゲンや血液検査をしました。でも異常がなく、リウマチ検査までしたのですが陰性でした。

 その後も痛みがとれなかったので、次に整形外科が有名な病院でMRIを撮ってもらったのです。すると、画像を見た先生が「今すぐがんセンターに行ったほうがいい」と言ったのです。画像は明らかに左右の骨盤の様子が違い、右には白い影のようなものが見えました。

 それが国家試験の1週間前の出来事です。試験目前でしたが、モヤモヤした状態に耐えられなかったので、試験2日前にもかかわらずがんセンターを受診しました。そして、号泣することに……。

 それでも翌々日には国家試験を受けて、約1カ月後にはめでたく合格。「落ちても受かっても治療が待っている」と思ったら緊張せずに済んだのでよかったのかもしれません。

 そこから組織を採る病理検査などがあり、「骨肉腫です」という確定診断を受けたのは4月の頭でした。その翌々日には入院、そしてその翌日からは術前の抗がん剤治療が始まりました。

「骨肉腫」は簡単にいうと骨のがんです。もっと早くMRIを撮っていればよかったのですが、わかったときには15センチ大の腫瘍だったので、それ以上大きくならないように抗がん剤をしてから手術となりました。

 抗がん剤は吐き気がつらくて、食事がまったくとれなくなりました。運ばれてくるワゴンの音だけで吐き気を催すくらい。何が食べられるのか自分でもわからなかったので、母親にいろいろなものを持ってきてもらいました。

 それで見つけたのが「たこ焼き」です。といっても、せいぜい1個か2個しか食べられないんですけど。知り合いの話でも「たこ焼きは食べられた」という人が少なくとも2人いました。あとは梨と、点滴で生きていたようなものです。

■リハビリの先生が来るのがイヤで仕方がなかった

 手術を受けたのは7月の上旬でした。右の骨盤と大腿骨の3分の1を切除して、そこに人工関節をつけるという17時間にも及ぶ大手術でした。術後、説明を受けた家族が「あのときの先生の顔が忘れられない」というくらい先生は疲労困憊していたようです。

 そこから1週間は痛みとの闘い。起きているのがつらいから、できればずっと眠っていたかったです。自分でボタンを押すと痛み止めの薬が体に入る「レスキュー」という装置があって、1度押すと30分間は打てない仕組みなんですが、連打しちゃうくらい痛かった。

 リハビリはなんと手術翌日から始まりました。人工関節を入れているので動かしても問題ないんですけど、痛くてそれどころではありません。ベッドサイドに座るだけでも脂汗は出るわ、血圧は下がるわ……。リハビリの先生が来るのがイヤで仕方がなかった。

 それでも8月の終わりには車イスに乗っていられるようになって、なんとか松葉づえで歩けるようになった10月に退院しました。

 本当は、術後抗がん剤が12月まで続く予定だったのですが、副作用が強すぎて、体力的にも精神的にも弱りきってしまったので、続けるリスクのほうが大きいと主治医が判断し、抗がん剤は中止になりました。再発や転移が見つかればまた抗がん剤治療をすると言われたものの、幸いそれもなく12年過ごせています。

 じつは、退院から4年後、人工関節が細菌感染してしまって外したため、今はその部分が空洞状態。足の切断も提案されましたが、温存を選び、医療用セメントと骨代わりの針金のようなもので足をぶら下げている状態です。

 基本は車イス生活で、狭い場所は松葉づえや壁の伝い歩きで移動しています。車イスのとき以外は腰から太ももにかけて添え木のような装具をつけるのが必須。今でも痛み止めの薬は飲んでいます。

 この「肉腫」という病気は10代、20代がなりやすいといわれています。骨に限らず、筋肉、脂肪、神経にできる悪性腫瘍はすべて「肉腫」といいます。「肉腫」は「がん」の中の1%、つまり希少がんなのです。筋肉痛のような痛みなので、小さな整形外科では病気とは診断されにくいのも怖いところです。ただの筋肉痛のようでも、もし1カ月以上続いたらMRIやCT検査をしてほしい。私の経験が誰かの病気の早期発見になってくれたらと思って活動しています。

(聞き手=松永詠美子)

▽1981年、千葉県生まれ。2010年、28歳のときに骨肉腫と判明。手術・療養を経て12年から介護施設で看護師として勤務。今年1月に看護師を離れ、フル在宅で事務仕事をしながら、がんサバイバーとして多方面で活動中。7月は「肉腫啓発月間」。31日(日)15時~、品川健康センターで「うたちかパラコンサート」(NPO法人「歌の力」主催)に「車いす三銃士Herz」として出演予定。

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