独白 愉快な“病人”たち

現役麻酔科医みおしんさん 線維筋痛症の「痛み」との闘い

みおしんさん
みおしんさん(C)日刊ゲンダイ
みおしんさん(麻酔科医/37歳)=慢性疲労症候群/線維筋痛症

 26歳のとき、感染症で倒れて「慢性疲労症候群」がわかり、その8年後に「線維筋痛症」と診断されました。線維筋痛症と慢性疲労症候群は併発しやすいのです。

 なかなか完治が難しい病気といわれていますが、今はほとんど薬を飲んでいません。鍼灸や整体、筋肉をほぐすグッズや神経の炎症を抑える最新医療機器(エイト)などを使って体のこわばりを抑えながら、週3日、麻酔科医として勤務しています。

 幼少期から朝は調子が悪く、目は覚めるのに体が重くてなかなか起き上がれませんでした。小学校は週2~3日は遅刻。精密検査を受けても異常がなく、しばしば点滴を受けて登校していました。午後には元気になり、走り回っていたので周囲からは「いつも遅刻するだらしない子」と思われていたと思います。自分でもそう思っていましたし……。特に冬は体調が悪く、毎年冬が来るのが怖かった。でも、当時はほかの皆もそうだと思っていました。

 15歳の頃に右肩痛を自覚し、再度精密検査をしましたが、原因がわからず、中学、高校、大学では無理やり体を動かしていました。医学部を卒業して1年間の研修医期間が終わろうとしていた2010年、疲労で消耗しきっていたところにカンピロバクターという細菌に感染し、その後、半年間寝たきりになりました。

 細菌による胃腸炎は治っても、寝ているだけでしんどい状態が続き、研修は中断。あれこれ検査しても異常がないことから、そういう特徴を持つ病気「慢性疲労症候群」と診断されました。

 思考力の激しい低下と極度の疲労感が半年以上続き、日常生活に支障を来しました。診断から1年半、病院を転々としながらいくつもの痛み止めや、鎮痛補助剤としての精神科の薬や注射を試しました。でも、どれも効果がなく、「これは薬ではどうにもならないんじゃないか?」と思い、ある時から薬を一切やめました。

電動車いすを利用。テクノロジーや工夫でピンチはチャンスに
電動車いすを利用。テクノロジーや工夫でピンチはチャンスに(C)日刊ゲンダイ
友人からの結婚式招待状で気持ちが切り替わる

 2012年、総合病院で研修を週4日勤務で再開しましたが、やっぱりしんどくてたまりません。その頃はまだ感染症によって慢性疲労症候群が悪化してしまったのだと思っていました。

 でも2017年、歌手のレディー・ガガさんが線維筋痛症で活動休止するというニュースが世間を騒がせました。記事に書かれている病気の症状が、あまりにも自分とピッタリだったので、そこではじめて自分が感じる体の重さや肩こりなどが「痛み」であると認識し、自分でカルテを書いて、線維筋痛症専門医がいるリウマチ内科クリニックを受診しました。

 線維筋痛症は、体全体に起こる慢性的な強い痛みが3カ月以上続くことによって不眠や頭痛、うつ症状なども引き起こす疾患です。激痛はあるのに、血液や画像検査では異常が見られないのが特徴で、脳に痛みが記憶されてしまい苦しむ人が多いのです。私の場合は、カルテにこれまで使った薬の種類、治療法を細かく書いておいたのが早い診断につながりました。すぐに18カ所の圧痛点(4キロの力で押したとき11カ所以上痛みがあると確定の基準となる繊維筋痛症の診断法)を確認され、「これは線維筋痛症だね」と、アッという間にお墨付きをいただきました。

 さらに、末梢血管を広げる「ノイロトロピン」と、筋肉の代謝を上げる「L-カルニチン」という薬を点滴されると、たった5分で効果を実感。それまでの薬では何の変化もなかった体が急に温かく柔らかくなるのがわかって驚きました。

 その後、同じ薬の内服薬を処方していただき、月1回の通院をしばらく続けました。2年間でペースがつかめたので、その頃から冬のL-カルニチンだけを残して、ほかの薬はやめて今に至っています。

 人生で一番つらかったのは、2010年に寝たきりになったときです。体が動かず、頭も働かず、何もできない。治療法も確立しておらず、医師も明るい材料を持っていませんでした。希望の種がないのに生かされている地獄のような日々でした。

 でも、「どうやってこっそり死のうか」と考えていたそのときに、何も知らない友人から結婚式の招待状が届いて、急に死んじゃいけない感じになっちゃったんです(笑)。「結婚式は1年後。ならば1年後に研修医に復活している自分でありたい」と気持ちが切り替わりました。小さなきっかけで大きく変わることができるという体験はそれが初めてでした。

 この病気のつらさを知るほどに、日々、立ちあがれること、歩けること、遊べること、仕事ができることのありがたさや、世界の美しさに気付けるようになりました。とはいえ、やっぱりすぐ消耗して動けなくなるので、「近距離モビリティWHILL」(電動車いす)を利用しています。テクノロジーや工夫でピンチはチャンスに、弱さは強さに変えていける。“いたみ”も、わくわくも、全部おいしくいただきます!

(聞き手=松永詠美子)

▽みおしん 1984年、東京都生まれ。北里大学医学部卒業後、病院勤務を経て、現在、産科麻酔科医として勤務。同時に大学院で「いたみと疲労の可視化」について研究している。慢性的な疲労や痛みをサポートするポータルサイト「WiTH PAiN」(http://withpain.jp)の代表も務め、「車いす三銃士Herz」として数々の社会活動も行っている。

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