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ホコリがつく千羽鶴は白血病患者の病室には持ち込めないと言われ…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 ある日の夕方、女子高生のS子さん(16歳)は、コーラス部での活動を終えてから同級生のAさんと一緒に帰路につきました。

 その途中、Aさんが急にしゃがみ込んで、めまいを訴えました。S子さんはスマホでAさんの母親に連絡し、そのまま近くの診療所にAさんを連れて行きました。そこでは、「貧血が原因だろう」と言われました。

 しかし翌日、あらためてAさんがC病院で診察を受けたところ、高度な貧血で「急性白血病」と診断され、2日後に入院することになったのです。

 S子さんは、この出来事について自宅で家族に話しました。すると、おばあちゃんからこんな提案がありました。

「かわいそうに……お気の毒だね。千羽鶴を作って、届けてあげたらどうだろう。早く治って欲しいね。鶴は千年、亀は万年だよ」

 さっそくその晩、S子さんはおばあちゃんに折り鶴の折り方を習いました。折り紙で2個、3個と鶴を作って、だんだん早く折れるようになりました。

 翌日、S子さんは学校でコーラス部の友人に折り鶴の話をしてみました。すぐに折り方を知りたいと、5人の同級生に広がります。そして3週間後の夕方、たくさんの束になった千羽鶴を、同級生3人でAさんの自宅に届けました。

 Aさんのお母さんはとても喜んで、翌日、入院中のAさんに届けると約束してくれました。

 その日になって、お母さんが千羽鶴を病院へ持ち込むと、担当の看護師さんは困った顔で言います。

「病室はきれいな空気になるようにしてあります。千羽鶴はホコリがつきますからね。白血球が減ると、肺炎を起こしやすくなるので、患者さんのそばには置けないのです」

 お母さんは、病室の窓から見える廊下にでも置けないかと粘ってみましたが、やはりダメで千羽鶴は仕方なく持ち帰りました。

 そう言われてみれば、よほどのことがないとAさんの病室には誰も入れなくなっています。お母さんがAさんに会う時は、まず準備室で帽子をかぶり、マスクをつけ、ガウンを着てから入室する手順になっていました。

 友達の思いが、みんなの願いが、届けられない……お母さんは残念に思いました。

 Aさんのお父さんは、「看護師さんが言っているのは当然のことだよ。Aが治ることが一番大事なんだから」と言います。そこでお母さんは、スマホで千羽鶴の写真を撮ってAさんに送りました。そしてS子さんに電話をかけて事情を説明し、千羽鶴はAさんが退院した時に渡す約束をしました。

■一時退院後の自宅でようやく手元に

 S子さんは、Aさんが千羽鶴と一緒に撮った写真を送ってくれるのではないかと期待していましたが、状況が状況です。Aさんの手元に千羽鶴は届かなくても、早くよくなってほしいと思いました。

 この話を聞いたS子さんのおばあちゃんはがくぜんとして、自分の思慮が足りなかったと後悔しました。若い頃、ビルの解体工事による風塵についての文献を調べたことがあったのを思い出したのです。

 Aさんは頑張って白血病は寛解し、40日後に一時退院となりました。数日後には「地固め治療」のために再入院です。帰った自宅で、ようやく千羽鶴と合うことができました。

 S子さんのおばあちゃんは、それを伝え聞いてようやく肩から力が抜けた気がしました。やっと「みんなの願いがかなった。S子に折り鶴の折り方を教えてよかった」と思えたのでした。

 この出来事をきっかけに、S子さんとおばあちゃんは、時々、一緒に折り紙を折るようになりました。折り紙の本を見て、小さい鶴、猫、犬、キリンなど、いろいろな動物を折れるようになりました。

 S子さんたちのコーラス部は、地区の合唱コンクールでは3位に入賞したのですが、県大会には出場できませんでした。

 ある時、S子さんはラジオで「折り鶴」という曲の合唱を耳にしました。すぐにインターネットで探してこの曲を録音し、おばあちゃんに聞かせました。今では、S子さんとおばあちゃんの2人で口ずさむ歌になっています。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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