「幸せな最期」を迎えるためにはどうすればいいのか?看取りの名医が指南

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 人は誰しも安らかな最期を望む。しかし、人の死に立ち会った経験がなかったり知識がなければ、勝手な思い込みで大事な人を最期まで苦しめることにもなりかねない。年間200人超の看取(みと)りを行う「しろひげ在宅診療所」(東京・江戸川区)の山中光茂院長に「幸せな最期」を迎えるためのアドバイスを聞いた。

「看取りまで責任を持つ在宅診療を何年も続けていると、『あとどれくらいで最期の時間になるか』が、おおよそわかるようになります。基準のひとつは、『食事や水分が取れなくなってくる』ことです。老衰にしても、がんの末期にしても、少しずつ食事や水分量が減っていく。それは自然な経過です。その経過に逆らうように無理に食べさせれば誤嚥性肺炎になってしまうし、過剰に水分を取らせたり、必要のない点滴をすれば心臓に負荷がかかり、腹水が増えたり、痰がらみが続いたりしてしまい、不必要な苦しみを生み出してしまいます」

 一見、意識状態が良好であっても、最期が近づくと自然な経過で食事が食べられなくなってくる。すると2週間から1カ月で看取りを迎えるという。

「ただ、食事が取れなくなったといっても、がんの患者さんは別の原因があるかもしれません。抗がん剤や過剰な投薬により、吐き気が強くなったりすることで人為的に食欲低下が著しくなっている場合があります。また、麻薬やステロイドをうまく使っておらず、がんによる痛みや倦怠感の激しさから食事が取れない方もいらっしゃいます」

 その場合には、抗がん剤を即座に中止。麻薬やステロイドなどにより痛みを緩和することで食欲が回復し結果として延命につながることも少なくないという。

「それでも、がんは必ず治るという病気ではなく、緩和や延命はいつまでも続きません。自然と食事や水分が取れなくなり、意識状態も少しずつ弱くなり、傾眠傾向が続くようになります。最期の時間が近づくと『水分も取れないのはかわいそう』という家族もいますが、最期の時間に向けては体は『ドライ』に保ち、少しずつ枯れていくように最期を迎えられるよう準備を進めていきます。ここまでくると、最も良い方法は『何もやらない医療』の選択です」

 それでも、どうしても水分を体内に入れてあげたい場合には、血管からではなく腹部から「皮下点滴」をゆっくりと体に染み渡るように少量入れるという。

「『最期の食事ですね』という言葉をかけてあげると、家族も涙を流しながら、その時間を受け入れてもらえます」

■「治す」という意識を変える

 終末期において、「せん妄」などの精神的な不安定さが出る患者もいる。中には、心の底に秘めた昔の彼女の名前や苦しい体験などを口走るのではないか、と心配する人もいる。しかし、そうしたケースはほとんどないという。

「せん妄状態の人の口から出る言葉の多くは、肉体的な痛みや倦怠感についてで、精神的な苦痛についての事柄はほとんどありません。医師によっては、せん妄が出ると薬の副作用を疑い、麻薬の量を減らしたりしますが、意外なことに逆効果になることがあります。痛みや苦しみを取るための麻薬やステロイドは、適量を使うと他の薬に比べて副作用もほとんどない。私は積極的に使うべきだと考えています」

 最期の数週間において、薬で痛みを「緩和」すると、眠っている時間が長くなる。それでも、痛みを取らずに苦痛のあまり「その人らしさ」を失わせるよりも、よほどいいと山中医師は言う。

「痛みや苦しみを取ることで、最期の時間まで家族や介護職種の方とも『すてきな時間』を過ごすことができるようになるのです」

 最期の時間を後悔なく過ごすには最期の時間までの時間軸を医師らに確認し、それを受け止める心の準備をすることが大切だ。

「このとき、『治す』という意識から、最期に向かって『すてきな時間を過ごす』という意識に切り替えることが重要です。少しでも痛みや苦しみから解放してあげる選択肢を家族が選ぶようにしてあげてください。点滴を連日することで肺を含めた体全体が水ぶくれして、ずっと痰がらみの状態を見ていることの方がつらい。少しずつ自然に枯れていきながらも穏やかな表情を見守ってあげることが大切なのです。それでも、痛みや苦しみがあるときは緩和の薬を使う。飲めないときには訪問看護さんに座薬を入れてもらったり、医師に持続の鎮静薬を入れてもらったりすることです」

 家族と話し合いながら、きっちりした緩和医療をすれば、苦痛も後悔もない、「すてきな最期の時間」を笑顔で迎えることができるのである。

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