名医が答える病気と体の悩み

認知症初期の人はどうして「盗まれた」と訴えるのか?

写真はイメージ(C)byryo/iStock
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 認知症の症状として、脳の認知機能の低下がみられます。認知機能とは、ものごとを正しく理解し、適切に実行するための機能になります。なかでも、「記憶力」と「理解・判断力」の低下が、日常生活に大きな影響を及ぼします。それによる弊害で、もっとも出現しやすい症状のひとつが、“物盗(と)られ妄想”です。認知症の初期に起こりやすく、財布や預金通帳などを盗られたと訴える症状です。

 アルツハイマー型認知症の約3割程度が物盗られ妄想を起こすといわれています。

 なぜ、自分がどこかに置いたことを忘れて、他人に「盗まれた」と発想するのでしょうか。それは「記憶力」と「理解・判断力」が関係してきます。

 新しく脳神経が再生される場所は「嗅覚神経」と、記憶の入り口である「海馬」の2カ所です。海馬の機能が正常であれば脳の中で新しい記憶がつくられていきます。しかし、認知症の神経障害のために海馬が障害されると、新しい記憶ができません。そのため「記憶力」の低下によって、物忘れが起こります。患者さんは、5分前に財布をどこに置いたかが分からなくなるのです。

 ただ、過去の情報は覚えていますから、ものごとの理解も過去の記憶にアクセスし判断します。
5分前に財布を置いた行為そのものは忘れているので、「置き忘れた可能性」や「探さなければいけない」といった状況を理解し、次の行動を判断することができません。目の前にない=自分は関係ない=誰かが盗ったという発想になるのです。

 過去にお金のトラブルを起こしたことがある人や他人を信用しないタイプは、より物盗られ妄想を起こす傾向にあります。

 さらに、初期症状にやる気の低下や感情がなくなるといわれますが、「性格障害」が現れることも関係しているでしょう。患者さんは、それまでやれていたことができなくなって、精神的に不安になるため、他者に攻撃的になる傾向があるからです。

 私たちは外界の世界から五感を通じて脳の中に、ある意味自分に都合の良い現実世界をつくります。

 認知症の患者さんは、目に入った新しい情報を記憶できませんから、古い記憶をもとに脳の中で「引き出しに財布が入っている」と想像しています。

 でも、実際に引き出しを開けてみたら、入っていない。「これは大変だ。盗まれた」と感じてしまう。たとえ、5分前にカバンに入れていたとしてもです。

▽田中伸明(たなか・のぶあき) 1993年諏訪中央病院東洋医学センター医局長、95年阪神・淡路大震災医療ボランティア、98年厚生省国立医療・病院管理研究所特別研究員、2002年竹田綜合病院内科・神経内科、07年京都産業大学経営学部教授などを経て、12年にベスリクリニック創設、現在はベスリグループ総院長。

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