がんと向き合い生きていく

入院5回目のがん患者は孫の動画を見て「一緒に歌う」と心に決めた

写真はイメージ
写真はイメージ

 Fさんは、鉄道会社を定年退職した6年前から、肝硬変・肝臓がんの治療のためP総合病院の肝臓内科に通院しています。そのFさんが3年ぶりに入院治療を受けた時のお話です。

「今回が5回目の入院治療でした。前回まではラジオ波でがんを焼き殺す治療だったのですが、今回はがんの数が増えていたことで『肝動脈塞栓療法』でした。治療後2日間ほど熱が出ましたが、無事、順調に回復し、7日目で退院できました。担当医も看護師さんも、みんな親切でした」

 肝動脈塞栓療法とは、がんに到達する肝動脈の一部を詰めて塞ぎ、血流を止めてがんへの栄養の供給を絶つ方法です。肝動脈に抗がん剤を注入する場合もあります(動注化学療法)。Fさんの場合、進行したがんの広がり状況から、今回の治療で延命効果はあっても治ることはなく、治療法のリスクについても理解していました。

 Fさんのお話が続きます。

 ◇  ◇  ◇

 以前の入院と違ったのは、新型コロナへの対応です。すでにワクチンを4回接種していましたが、入院する3日前にPCR検査が必要でした。

 入院するP総合病院の外来の廊下の一隅で、一人一人カーテンで区切られたところに座って、蓋つきの試験管のようなチューブに唾液をためて提出します。PCR検査のために入院する直前に病院まで行くことは、遠方の方には気の毒だと思いましたが、「病院はコロナ対策をしっかり行っているのだ」と考えました。もし陽性と連絡がきたら入院が延期になるのですが、幸い陰性で予定通り入院できました。

 入院当日、付き添いの妻に荷物を持ってもらっていましたが、病棟の中に入れるのは私ひとりです。病室で着替え、治療の同意書にサインした後は、何もやることがなくなりました。病気のこと、治療法のこと、そして悪い結果になるのではないか……などが頭に浮かび不安でした。

 病室の窓から眼下には近くの駅が見え、何本もの線路の上を電車が交互に走っています。

 ふと、スマホのスイッチを入れてみると、たったひとりの、2歳10カ月になる孫(N君)が歌っている動画が届いていました。

「せ~んろはちゅじゅく~よ ど~こまでも~ の~をこえ やまこ~え た~にこえて~ は~るかな まちま~で ぼくたちゅの~ た~のしいたびの~ゆめ~ ちゅ~ないでる~」

 目を丸くして、大きな声で、口をとんがらせて一生懸命歌っています。とても可愛くて思わずほほ笑みました。

 夕方、夜勤の看護師が、血圧、体温、脈拍、酸素濃度を測っていきました。感じの良い方で、会話していると、よく勉強しているなと感心します。

 食事が終わって食器を下げてもらい、夕方の薬が出てきた際、不眠の時に使う薬をお願いしました。

「どうせ、人間、いずれはみんな死ぬ。仕方ない。病気が良くなるように、みんなで努力してくれているんだから、悪くなるのを考えるのはよそう」

 そうは思っても、ぽつんと、暗い天井を見つめていると、悪い結果の不安が頭をよぎります。

 夜になると、わずかに電車の走る音だけが聞こえていました。カーテンを開けて窓の外を見ると、ビルの明かり、そして時折、電車が走っていくのが見えます。電車の中は明るく、混雑しているのが分かりました。みんな仕事を終えて家路につくのだ、と思いました。

 ◇  ◇  ◇

 Fさんは、再びスマホの動画を見ながら、孫のN君と同じ口調で小さな声で口ずさみます。

「せ~んろはちゅじゅく~よ ど~こまでも~ の~をこえ やまこ~え…… た~のしいたびの~ゆめ~ ちゅ~ないでる~」

 そして、退院した後はN君と手をつないで一緒に歌うんだと心に決めたそうです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事