これまでお話ししてきたように“食べる”に悪影響を及ぼすような副作用があるクスリは非常にたくさんあります。ほとんどのクスリがそういった副作用を有していると言っても過言ではありません。問題は、そうした“食べる”に関連する副作用は、すべて「その他の副作用」に分類されているということです。
クスリの副作用は、症状が重たく認められたらすぐに対処しなければならない「重篤な副作用」と、「その他の副作用」に分けられます。「重篤な副作用」はその名の通り症状が強く、重篤な経過をたどる可能性の高い副作用のことを示し、それが疑われる場合には速やかにクスリを中止します。
一方、「その他の副作用」が疑われる症状が認められた場合は、少し経過を見てさらにひどくなるようであればクスリの中止や減量を考慮するといった感じになります。そのため、“食べる”に関連する副作用があったとしても基本的には経過を見るだけになるケースが多いですし、場合によってはクスリの副作用とすら認識されていないかもしれません。
以前にもお話ししましたが、健康寿命を支える重要な柱のひとつに“栄養”があります。そして、健康寿命という意味での“栄養”は、元気に口から“食べる”ことを意味します。そういったことを考えると、“食べる”に関連する副作用は医療においてはたしかに「その他の副作用」に分類されますが、社会的には「重篤な副作用」と考えるべきだと個人的に強く感じています。
超高齢になるとどうしても多くの機能が低下してしまい、そのため“食べる”ことができなくなることもあるでしょう。ただ、そうなる前に「何か別のことが原因で“食べる”ことができなくなっている可能性」を探してみるのもいいかもしれません。それが加齢によるものであれば、ある程度受け入れるしかありません。しかし、その原因としてクスリが疑われる場合には、クスリを中止することで再び“食べる”ことができるようになるかもしれません。結果として、しっかり“食べる”ことができて健康になれば、クスリを中止してよかったと実感することができます。
もちろん、病気の治療のために絶対に必要なクスリはたくさんあるので、何でもかんでもやみくもにクスリを中止すればいいなんてことは全く考えていません。でも、何度もお伝えしていますが、「本当に必要なクスリ」はどれなのか、「症状が改善しているから中止できそうなクスリ」はないのかーー。“食べる”を維持するためにも、一度考えてみる価値は十分にあると思います。これは患者だけでなく、われわれ医療従事者にも言えることです。