メガネを語る

徳川家康は手持ち式鼻メガネを愛用していた 度数の異なる2つが現存している

徳川家康は手持ち式の鼻メガネを愛用

 日本で最初にメガネをかけたのは、周防などを治めていた戦国大名の大内義隆であったことはお話ししました。メガネは宣教師のフランシスコ・ザビエルからの献上品です。1551年4月末の謁見で手渡されました。大内は喜び、領内での布教活動を認めますが、その大内は家臣の謀反により敗走し、同年9月1日に自害しました。ですから、大内はメガネを愛用したというわけではなかったと考えられます。

 謀反を起こした大内家家臣は豊後の国(いまの大分県)の戦国大名の大友宗麟に後ろ盾になってもらうべく、その実弟を新当主として招き入れます。この時、ザビエルは大友宗麟に請われて豊後の国を訪問。ザビエルは大友にもメガネを献上しています。

 しかし、大変貴重品だったメガネを、実用品として愛用した戦国大名の話を私は存じ上げません。しばらくは宝物扱いされていたのかもしれません。

 では、メガネを愛用した有名人は誰なのでしょうか? それは徳川家康だったといわれています。家康は晩年、「目器」と呼ばれるメガネを複数持っていたようで、徳川家康を祭っている静岡県の久能山東照宮には度数の異なる2つのメガネが現存しています。どちらも耳にかけるタイプでなく、手持ち式の鼻メガネでした。

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