甲状腺は、のどぼとけの下にあるチョウが羽を広げたような臓器。ここでは甲状腺ホルモンというホルモンが作られており、血液によって脳、心臓、肝臓、腎臓などさまざまな臓器に運ばれていきます。
この甲状腺ホルモンの重要な働きが、体の新陳代謝を活発にすること。血液中の甲状腺ホルモンの量が少なくなり、必要な働きができなくなった状態を「甲状腺機能低下症」といいます。
症状としては一般的に、疲労感、むくみ、皮膚乾燥、寒がり、体毛の脱毛、体重増加、便秘、傾眠、月経異常など。甲状腺機能低下症の症状は徐々に出てくる上、軽度のうちは目立った形では出てこないこともよくあるので、本人も、周囲も気づかないことは珍しくありません。
そして本連載でみなさんに知っていただきたいのは、甲状腺機能低下症には、認知症と似た症状もあるということです。それが記憶障害や思考力低下、無気力さです。徐々に物忘れがひどくなったり、ぼーっとするようになったり。
■海馬の歯状回の細胞サイクルが低下
というのも、甲状腺ホルモンは、脳神経細胞の分化による脳の形成・発達に関係しているから。甲状腺機能が低下すると、記憶力や認知機能を担う脳の海馬の歯状回の細胞サイクルが低下するのです。“海馬の歯状回”は、脳で細胞が新たに生まれ変わる場所で、この歯状回を介して海馬内に神経サイクルが生まれ、新しい記憶そのものになると考えられています。
ある報告では、75歳以下の潜在性甲状腺機能低下症の人では、そうでない人に比べて認知障害が1.56倍、認知症が1.81倍多いと報告されています。しかし、甲状腺機能低下症は、これまで紹介してきた「治る認知症」と同様に、甲状腺ホルモン投与という薬物治療によって、認知機能を取り戻すことができます(甲状腺機能低下症に伴う認知機能低下の場合。甲状腺機能低下症とは別に認知症を発症している場合は話が別です)。
一方で、少し古いデータではありますが、医療経済研究機構が2015年4月から2016年3月のレセプトデータを調査した報告によると、認知症の診断直後に抗認知症薬を処方された65歳以上の患者さんが、医療機関3万4492施設中26万2279例存在しました。
その患者さんのうち、甲状腺機能検査実施率は約3割。つまりは、7割の患者さんが、「もしかして認知機能低下は甲状腺機能低下症のせいかもしれない?」と疑われず、検査を実施されていなかったのです。
前回、「当初は認知症を疑ったが、実は別の疾患だったという症例を経験したことがある」と回答した医者が全体の約48%いた、という意識調査の結果を紹介しましたが、「お医者さんが認知症と診断したから、そうなんだ」とすぐに受け止めるのはいかがなものか、ということが分かってもらえるでしょうか? なんでもかんでも疑えばいい、ということではありません。しかし、たとえばがんであれば、医者の診断や治療方針に対して「本当にそうなのか」という疑問を抱き、自身で情報を集めたり、セカンドオピニオンを検討するケースは少なくないでしょう。
ところが認知症では、まず患者さんご本人が診断結果の正当性を疑いづらいこと、ご家族も「年を取っているから仕方がない」とそのまま受け止めてしまいがちであることから、「治る認知症」があったとしても、見過ごされているケースが散見されるのです。
甲状腺機能低下症は、冒頭部分で挙げた症状、そして甲状腺ホルモン値や甲状腺刺激ホルモンの値を調べることで診断がつきます。シンプルな血液検査だけで済むので、患者さんへの負担はごくごく軽い。甲状腺機能低下症のひとつ、慢性甲状腺炎(橋本病)では、甲状腺全体の腫れから、甲状腺機能低下症の診断に結びつくこともあります。