がんと向き合い生きていく

末期がんの男性は食事が中止になり「死が近づいた」と思った

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Kさん(68歳・男性)は手術不能の胃がんで、消化器内科に入院していました。薬物治療を2次治療まで行いましたが、効果がなく断念しました。腹水がたまってきて、食事はわずかしか取れなくなり、がん性腹膜炎に進んだとのことでした。

 腹水を抜くと、数日は楽な気持ちで過ごせましたが、だんだんまたお腹が張ってきます。1人暮らしで、自宅に帰っても誰もいない。特にやりたいこともなく、この病院で苦しむことなく死なせていただければ……と思っていました。

 入院中の病院に緩和ケア病棟があることを知ったKさんは、そこに移ることを希望して緩和病床が空くのを待ちました。

 水分は取れましたが、朝から夕方まで点滴1000ミリリットル(500ミリリットルを2本)をゆっくり行っていました。頚部の中心静脈からの点滴だったので、腕は自由に動かせます。

 ある日、食事がほとんど取れていないことから、担当医に「食事はやめますが、よろしいですか? 食べられそうな時はまた出しますから」と言われ、中止になりました。死が近づいたと思いました。

 中心静脈から高カロリーの輸液は可能でしたが、Kさんは苦しむ期間が長くなるのではないかと思い、断りました。ジュースを3本ほど冷蔵庫に入れてあったので、少しずつ飲んでみると吐くことはありませんでした。食事の時は、助手さんがお茶だけを持ってきてくれました。内服の薬も小さな錠剤が2個に減りました。

 看護師さんから転倒を心配され、排尿は尿瓶を使うことになりました。もしトイレに行きたい時は必ずナースコールを押すように言われました。

 シャワー浴を希望したところ、ベッドに寝たまま浴室まで運ばれ、全身を洗ってくれました。この時はとても気分が良かった。下着を着替える時、あばら骨が目立って「このやせ細った体が元に戻るのは無理だ」と思いました。看護師さんは背中を見て「褥瘡なし」と口にしていました。この時が最後のシャワーとなり、それからは清拭だけになりました。

■緩和病棟では点滴も減った

 緩和ケア病棟に移る前に、緩和の担当医から説明がありました。

「緩和病棟では、苦痛を出来るだけ少なくしたいと考えております。腹水がたまって苦しい時は抜きます。もし、治療を希望する場合は内科に戻ります。緩和ケア病棟は、基本的には延命のための治療はしません。もし体調が落ち着いていた場合は、自宅に帰るなり相談いたします」

 内科の病棟に入院してから約1カ月後、緩和ケア病棟に移りました。

「今日から点滴は500ミリリットルに減らします。むくみもありますし、腹水がたまるのは少なくなるかもしれません」

 Kさんは納得していましたが、なんとなく「移っていきなり減らすのか……」とも思いました。ただ、たしかに象のようになった足はむくんで、水疱が出来ています。

 担当医に「あとどのくらい持ちますか?」と聞くと、「1カ月か、2カ月かと思います」との答えが返ってきました。

 Kさんは体を動かすのが苦痛になって、ほとんどベッドの上でしか過ごせないようになりました。排尿は少なくなりましたが、腹満感は同じです。喉が渇くことが多く、いつもお茶をそばに置いてもらいました。

「仕方がない」とは思いながら、それでも日によっては気分の良い日もあり、このままだったらもう少し生きていてもいいかな、と思う日もありました。ぼーっとしていることが多くなって、それでも痛みがないのがありがたいと思いました。

 連絡した妹が10年ぶりに面会に来てくれました。Kさんは妹にこう漏らしました。

「人はこのようにして死ぬんだが、俺は幸せ者だよ」

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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