上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

大掛かりな手術では術中から血栓ができやすい状態になる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 足の骨折や股関節など下肢の整形外科手術を受けた後、療養中に運動量が減ってしまうと、足の静脈に血栓ができる「深部静脈血栓症」、その血栓が血流に乗って心臓まで移動し肺の動脈に詰まる「肺血栓塞栓症」を起こすリスクが高くなると前回お話ししました。いわゆる「エコノミークラス症候群」とも呼ばれ、死亡リスクが高い深刻な病態です。さらにこれは下肢の整形外科手術だけではなく、がんや内臓疾患での大きな手術でも生じるリスクがあります。

 実際、こんな経験をしています。かつて私が研修医時代に担当した大腸がんを手術した患者さんが、10年以上経過して大腸がんの再発を来し、心臓疾患の疑いもあって私の外来を受診されました。その際、「○○さんですよね。前回の手術の時、担当医として私もそこにいたんですよ」と声をかけると、「え、本当ですか!」と話が弾み、検査も問題ないことから「手術、がんばってください」と送り出しました。しかし、その患者さんは大腸がんの手術後、間もなく亡くなってしまいました。術後、肺血栓塞栓症を起こしてショック状態となり、突然死してしまったとされています。

 当時、この“事故”はマスコミでも大きく報道されました。院内では原因究明や再発防止のために検討会が行われ、「手術中の輸液管理が不十分だった」という意見が挙がりました。手術中、患者さんは長時間にわたって手術台に横たわり同じ体勢のまま動けないうえ、手術の操作による静脈の圧迫や血管内皮が傷つくことなどが原因で、血液が固まりやすくなります。しかも、手術中に投与する輸液量が不十分だと全体的に脱水傾向となって、さらに血栓ができやすくなるのです。そうして手術中に形成された血栓が術後に大きくなり、それが移動して肺動脈に詰まり肺血栓塞栓症を引き起こす“事故”につながります。つまり、大掛かりな手術の後は、だれもが肺血栓塞栓症を起こすリスクがあるのです。

■輸液管理が重要

 そのため、手術中は輸液管理がとても重要です。一般的には患者さんの体重1キロあたり1㏄程度の尿が排出されている状態が適正な輸液量といわれています。ただ、それでは少ないという外科医もいます。手術中に血液が薄めになるよう輸液量を増やせば、十分な血液を体中に送ろうとする心臓がそれだけ高拍出になり、血管内で血液の流速が速くなって血栓ができにくくなるという意見です。

 じつは、手術中の血栓形成を予防するための輸液管理については、大規模な研究結果に基づいたエビデンスがほとんどなく、ガイドラインにも記載されていません。患者さんの全身状態を悪化させないための輸液管理については目標値が定められているのですが、血栓予防に関しては医師の経験で対応しているのが現状なのです。

 近年、腹部手術などでは、手術での血栓形成を予防するために手術中から「フロートロン」という医療機器を使うケースも増えています。手術を受けている患者さんの足にサポーターを巻いて、一定時間ごとに空気圧で圧迫して静脈の血行を促進するのです。ちなみに、フロートロンは患者さんの肌に接触するため感染対策の観点から“使い捨て”が一般的でした。

 しかし、それではあまりにもムダが多すぎるので、3年前にわれわれと医療機器メーカーが共同で研究を進めて再利用できるタイプを開発し、国内で初めて製品化しました。もちろん、順天堂医院で実施される手術で使われています。

 手術後に肺血栓塞栓症を起こして突然死を招いた“事故”として、ほかにもこんなケースがありました。ある大企業の会長が、脊柱管狭窄症の手術を受けた時のことです。その会長はもともと狭心症で冠動脈を広げるため血管内にステント(金属製の筒状の網)が入っていたため、普段から血栓を予防するために抗血小板薬を飲んでいました。しかし、その病院では手術での出血リスクを減らす目的で抗血小板薬が中止され、手術が行われました。その結果、退院の数日前に肺血栓塞栓症の診断で亡くなってしまったのです。もしかするとステント内血栓症による心臓突然死だったかもしれません。

 米国麻酔学会における術前身体状態分類のハイリスク群に該当する場合、たとえば冠動脈疾患や脳血管障害などがある患者さんは、手術を受けた後の回復期に血栓ができやすい状態になる期間があります。手術による出血や傷を自身で修復するために、体内で血液中の凝固に関わる因子を積極的に増やすのです。当然、その期間は血栓ができやすくなり、肺血栓塞栓症を起こすリスクはアップします。もともと血栓ができやすいうえ、予防のための抗血小板薬が中止されれば、なおさら危険度は上がります。

 手術を受ける患者さんが術後の肺血栓塞栓症を防ぐため、とりわけ抗血小板薬や抗凝固薬を常用している人は、必ずガイドラインに即した血栓予防の措置をしながら手術を受けられるよう確認しましょう。たとえば、心臓病があって抗血小板薬を飲んでいる人ががん手術を受ける場合、同じ病院内の循環器専門医の管理の下で、がん手術を行ってもらうのが賢明です。

 最悪なのは、手術すると血栓ができやすくなって肺血栓塞栓症を起こすリスクがアップする、ステントが入っていればなおさら危険といった事実を知らない医師に、現在の病気の治療を任せることです。術中術後の血栓予防についてどのように対策しているか、確認することが大切です。

■本コラム書籍化第2弾「若さは心臓から築く」(講談社ビーシー)発売中

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

関連記事