がんと向き合い生きていく

「4」が気になる…末期がんで緩和病棟に入った男性の心境

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Cさん(53歳・男性)は、大腸がんと闘って3年になります。肝臓や骨盤内に転移が多数あり、今は下肢の浮腫に悩んでとうとう治療を諦め、ひとりでは暮らせないことから緩和病棟へ入院させてもらいました。

 そんなCさんの日記の一部です。

 ◇  ◇  ◇

 ただただ、もう末期。トイレが我慢できなくて、ナースコールした。

「立てる?」とナース。

 足が痛くて、立てないから呼んだのに……。お願いだから手を引っ張らないで。

 体が動かないのはつらい。昨日までは歩けていたのに、1日で動けなくなった。立てないどころか寝返りもつらい。腕から先は動くのでナースコールやスマホはできるが、この太い足はどうにもならない。こんな薄い布団すら跳ねのけられない。

 体中がだるくて、重い。それでもいろいろやってもらって、このまま死んでいくのもありかとも思ったりする。

 この緩和ケア病棟に、ナースはきっと20人はいると思う。緩和の看護を志望した人が多いのだろう。みな感じがいいし、優しい。それでも、こちらにも好き嫌いがある。マスクで顔は分かり難いが、声、仕草、すぐ好きになった人もいる。「不器用だ」と思っても、「いい人だ」と思える人もいる。好きじゃなくても「ちゃんとしている」人もいる。

 医者には嫌われたくないと思うが、ところがナースに対してはそうは思わない。嫌なナースがいて、その人は夜勤だけなのだと思うが、2回、夜にあった。足音から、その人が来ると分かる。ナースシューズのかかとを潰して、スリッパのようにして履いている。ふつうの声かけなのだが、親身じゃないって、わかる。ベッドに「ガンッ」とぶつかる。痛む足をギューって持つ。それで「パット取り替えましょうか」と言われても、「今はいいです」と答える。でもそんなことも、私はもうすぐ言えなくなるだろう。

 今日は、朝、お茶をいただいたら、茶柱が立った。何か良いことがあるかもしれない。昔から、私の心にゲン担ぎのようなものがある。「茶柱が立ったから」とは思っても……でも、今日は何も起こっていない。何も起こらないことが良いことなのかもしれない。

 昔、中国に行った時、出されたお茶には、いっぱい葉のようなものが浮いたり沈んだりしていた。今はあまり気にしないのだが、今日は1本、明らかに茶柱がある。

 リハビリは有り難い。少しの時間のリハで立てるようになった。すごい。それで、今日は動けたのだが、疲れたか、夕方にはまた動けない。

■生きたがっている私がいる

 時計を見ると、夜9時44分! え! これは?? 気分も、行動も変わることはないが、4は死、9は苦に繋がる? よく分からないが、緩和病棟に入ってから特に4、死が気になる。

 自分が死ぬ時は4時なのか、そんなことどうでもよいことなのだが、数字の時計が良くない。ふと見ると、いつも4時だったり、44分だったり、そんなに私に4が纏わりつかないで欲しい。枕元の時計は、数字ではなく長針短針にすればよかったか。暇だから、こんなことばかり考えている。なにか、もっと良いことを思いつけばいいのに……。

 私のような末期がん患者が、いつ死んだって、この世の中、なにひとつ変わらないのだ。たとえ、悲しんでくれる人がいても、すぐに忘れられる。

 コロナウイルスが収まり、地球温暖化防止にめどが立って……せめて、ウクライナの戦争が終わってから死にたかった。でも、私はまだ死んでいない。また、今日のネット記事に「がん治療・新薬」とある。私には間に合わないけど、そこに眼が行く。生きたがっている私がいる。

 明日は明日の風が吹く、今晩は嫌いなナースではない。眠剤をもらって、このまま眠れそうだ。

  ◇ ◇ ◇ ◇ 

 患者の心は複雑なのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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