■反対意見も考え続ける
具体的に書こう。
コロナは風邪だと理解して、その理解が自分の意見になり、それに沿った行動をとる、そういうことだ。普通といえば普通。普通過ぎるといってもいい。風邪だと理解しながら、重症化する危険な病気として対処するというほうがおかしい。
しかし、それこそが思考停止の原因ではないだろうか。思考を行動につなげない。行動にとらわれず思考しなければ思考の自由が担保できない。思考を止めないために、行動は適当にする。行動につながらない自由な思考こそ重要である。そういうのはどうか。
コロナについて考えるとき、理解しがたいものについて、自分の行動とは真逆なものについて、よくよく考えてみる。いったんマスクを着ける/着けないと判断したうえで、着けたのであれば、着けていない場合のことをよく考える。着けていないのであれば、着けたときのことを考える。具体的に言えばそういうことである。マスクを着けると、着けたほうがいいという情報ばかりを集めやすいし、考え自体もその方向に振れがちだ。マスクを着けないとその逆である。それは思考停止に他ならない。
医療だけでは幸せになれない