独白 愉快な“病人”たち

がんノート代表理事の岸田徹さん「がん告知の後は“アディショナルタイム”の感覚です」

岸田徹さん
岸田徹さん(C)日刊ゲンダイ
岸田徹さん(NPO法人「がんノート」代表理事/35歳)=胚細胞腫瘍

「胚細胞腫瘍」は10万人に数人の割合しか発症しない希少がんで、原始生殖細胞という胎児のもととなる未熟な細胞が成熟する過程で発生する腫瘍の総称です。比較的若い人に多く、進行のスピードが速いのが特徴です。

 僕ががんの告知を受けたのは2012年、25歳の秋でした。その年の春から首の根本がポコッと腫れてきて、倦怠感とともに週に1~2回熱が出るようになりました。近所のクリニックを受診すると、インフルエンザの検査をされ、陰性とわかると漢方薬を処方され「様子をみましょう」と言われました。

 続く5月の会社の健康診断でも「異常なし」でしたから、不調は続いていても疲労やストレスからくる“社会人あるある”だろうと思っていたのです。

 首のしこりは徐々に大きくなってきていても、押しても全く痛くないので放置していると、秋口からは体調不良が週3~4日に増えました。しかも、好調と不調が日々乱高下するのです。

 寝汗がすごくて、熱と倦怠感で大不調の翌日は急に何の症状もない日になる。その翌日はまた不調……。

 これはさすがにおかしいと思い、大学病院を受診したところ、検査で「リンパ腫」の疑いが浮上し、血液内科のある大学病院でさらなる検査を受けました。

 で、やっとわかったのが「胚細胞腫瘍の一種」ということ。医師から「大変珍しいがんです」と言われても実感が湧きませんでした。

 その後、国立がん研究センター中央病院を紹介され、検査を受けると首だけではなく、胸(肺と肺の間)と腹部(腸の周辺)のリンパにも腫瘍が見つかって即日入院になりました。一刻も早く治療を始めないと手遅れになるほど進行の速いがんなのです。

 最初の治療は抗がん剤でソフトボール大まで成長した首のしこりを小さくすることでした。4クール(約3カ月間)の抗がん剤治療で、脱毛や吐き気、口内炎、嗅覚障害など副作用といわれるものは一通り経験しました。

 それから、首と胸の腫瘍を取る手術を1回、腸の周りに広がった腫瘍を取る手術を1回受けました。首と胸の手術をした際には、呼吸ができなくなって生死をさまよい、腹部の手術では性機能に障害を持つことになりました。精神的にはこれが一番つらかったです。

 救われたのは、毎日のように友人や知人がお見舞いに来てくれたことです。

 1人でいると、ついついがんのことを考えてネガティブになってしまいますが、誰かといると違うことを考えられます。 学生時代の友達がわざわざ大阪から来てくれたり、世界中を旅したバックパッカー時代の友人たちも頻繁に顔を見せてくれました。

 来てくれた人がメッセージを記す「お見舞いノート」を作って、夜はそれを読んで気を紛らわせていました。中でもグッときたのは「Think Big」という言葉です。「今だけを見ないでもっと大きく考えろ」というメッセージでした。25歳の今はつらいけれど、人生100年だとしたらまだ4分の1。未来に視点を移したら、「この先の未来のために今頑張るんだ」と気持ちを切り替えることができました。

■退院から2年で精巣がんが発覚

 でも退院から2年目、定期的な検査をする中で腫瘍マーカーが微妙に上がり始めました。要注意状態の中で片方の精巣の腫れに気づいたときは、再発の恐怖に震えました。忘れもしない2015年7月の3連休の初日、主治医のいる病院は3日間休み。でも、誰かに「大丈夫」と言ってほしいあまりに近所のクリニックを受診しました。結果、「再発かもしれない」と言われてしまって、3日間は地獄でした。週明けすぐに主治医のいる病院で検査をすると「精巣がんです」と言われ、即手術になりました。あれから8年。今も定期的に検査を受けている経過観察の最中です。

 今の活動(がんノート)を始めたきっかけは、25歳で性機能に障害を負ったことです。精神的にきつかったので、救いを求めてネットで情報を検索したときに、1件だけ「夫は3カ月で治りました」という投稿にたどり着いたのです。「1人じゃない」と思えました。そして「今後の見通し」が一例でも示されたことがとても励みになりました。

 プライベートな部分に一歩踏み込んだ情報は、なかなか自分からは発信しにくいけれど、誰かが聞いてくれれば話せるし、悩める人の役に立つなら話してもいいと考える人は多い。なので僕が聞き役になってがん経験者にインタビューする「がんノート」のスタイルが出来上がりました。

 25歳までの人生設計では、30代まではつらくてもがむしゃらに働いて、40~50代で自由に羽ばたく予定でした。でも、がん告知はゲーム終了間際のホイッスルのような感じで、その後は例えるなら“アディショナルタイム”の感覚です。「残されたこの時間をどう生きるか」を考えたら、一日一日を悔いなく生きることを意識するようになりました。

 若い人は病院を受診しても病気を見過ごされがちです。近所のクリニックなどで「問題なし」と言われても、納得できなかったら大学病院などの大きな病院も受診しましょう。自分しかわからない感覚を信じてあげることが大事だと思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽岸田徹(きしだ・とおる) 1987年、大阪府出身。大学卒業後、IT企業に就職し、2年後に病気が発覚。退院後、インタビュー型ウェブ番組「がんノート」をスタートさせ、2016年にNPO法人「がんノート」を設立し、代表理事に就任。また、がん専門病院の広報担当や行政の検討委員、小中高などの学校でがん教育講師など多方面で活躍している。


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